「もの」つくり話 41〜 ものづくりのつぶやきです。少しずつ追加していきます。

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「もの」つくり話

50 蓮の年

 去年のカナダ行きの苦肉の策で蓮の作品が生まれた。これまでにも蓮のイメージの作品は何度かつくっていたがそれはあくまでも「生命のかたちシリーズ」の一環としてのモチーフであった。だが今、僕の頭の中は蓮一色である。今年は僕にとって蓮の年なのである。ドバイでのシンポジウムで鉄の蓮をつくってそれがより鮮明になった。
 この夏に東大阪市民美術センターで開かれる「蓮によせて-いろいろなハスのかたち-」という特別展に出品することになった。秋に開かれる守山市民センターで行われる企画展の小野和則さんとのコラボレーションでは蓮をモチーフに生から死へそして誕生という重厚なテーマを表現しようと考えている。11月の比叡山ガーデンミュージアムの個展も植物のイメージでとのこと。そして来月、7月6日から始まる京都ギャラリーマロニエでの個展は「蓮の庭」というタイトルのインスタレーション作品を只今、制作中である。
 なぜ東大阪で蓮なのか?といえば東大阪市には「日下江のハチス」と古事記にうたわれている蓮が古代から近年まで存在していた場所であり「枚岡の原始ハス」として大阪府の天然記念物に指定され蓮の開花シーズンには多くの人達が訪れる蓮の町であるらしい。
 そして偶然にも滋賀県の守山も蓮の町であった!というのは、守山にも「近江妙蓮」という貴重な蓮が生息しており、室町時代から600年間もの間守り続けられ、時の権力者に献上されていたと言われている。この花はふつうにはみられない一茎に数多くの花をつけ花びらの数が2000枚〜5000枚に達するという非常に珍しい花をつける蓮なのらしい。これもまた滋賀県の天然記念物に指定され市の花にもなっており、この花の咲く市内の妙蓮池には多くの人が訪れるという。
 こういう連鎖反応で今年は蓮をつくり続けて行く事になった。最初は何気なくかたちが大好きでつくり始めた蓮なのだが、「生命のかたちシリーズ」から離れ、「蓮シリーズ」として独立させると、かたち以外に、蓮そのものとそれを取り巻くものとの関係を考え始めた。蓮と私達日本人とは昔からとても密接な関係がある。これを理解するという事はとてつも無く長い時間が必要な気がする。
 しかし、むずかしい事はさておいて、蓮には単純に僕達に安らぎをあたえてくれる何かが潜んでいる。それは不思議で美しい色やかたちに加え、思わず手を合してしまいそうになるような宗教的な背景の要因が大きいのかもしれない。

2004.6.13(撮影03.8.7)

49 視点

 収穫はたったこれだけ。僕の楽しみのワラビ取りは、今年はたったの一回で終了した。ばたばたとしてる内にもうゴールデンウイークが迫ってきた。気が付くとワラビのシーズンはもう終りかけていた。
 毎年、春になるとアトリエの敷地内にワラビが顔を出す。しかしここのワラビはたいそう手強くそう簡単には取らせてくれない。色んな草木と一緒に生息しているので見つけにくいのだ。だが僕にはワラビ取りの極意がある。まずは立った状態で歩き回り、目についた物だけを摘み取る。この時点で一鍋分くらいの量が取れればそれで終了なのだが、先客がおり僕よりも先に摘まれていて収穫の少ない時にこの極意を使う。それはできるだけワラビと同じ高さに視点を合わせるのだ。しゃがみ込んで視点を下げると目の前の世界が変わる。そしてまわりの360°ゆっくりと見渡してみる。不思議なことに今まで上からは見えなかったワラビが次々と見えてくる。頭の中にその一本一本の場所を記憶して、一気に摘み取る。そしてまたしゃがみ込んでまわりをゆっくりと見渡すのである。この方法には今まで見え無かった物が次々と見えるおもしろさがある。
 よく人が「子供の視点に立って」と言う言葉を持ち出すが、こういう事を言うのだろうと思う。子供の目の高さまで視点を下げないと大人の目には見えない物はたくさんあるのだ。・・・と言う事は、自分の現状の視点では見えない物はたくさんある。人間は子供から大人へ成長していく課程においてだんだんと視点は高くなっていく。これは人間的な成長においても不可欠で必然的にそうなって行くものであろうが、そうなるにつれ、だんだんと様式的な考えが多くなってくる。それは生きて行く上において非常に便利なことではあるのだが、だんだんと視野が狭くなってきたり隠れた物が見えなくなってくるという欠点もある。
 僕はある事に行き詰まったりすると視点の位置を時には動かして見ようと試みる。それは物理的な事だけではない。考え方においてもそうだ。僕にはしゃがむ事もできるし寝っ転がることもできる。必要とあらば脚立の上に立つこともできる。もっと言えば海に潜る事もできるし飛行機にさえ乗れば空を飛ぶ事もできる。今までの常識や思い込みをいったん横に置いておいて視点を変えてみる。そうするとたくさんのワラビに出会えた時のような隠れていた思わぬアイデアと出会う事ができるかも知れない。

2004.5.11(撮影04.4.26)

48 別れ

 「別れ」と言えばたいそうだが、僕はドバイであるものと別れをしてきた。
それは、靴とである。たしかこの靴はもう10年以上も前にシンガポールで買ったものだと思う。本来は安全靴だと思うが、買った当初は普段履きに使っていた。それがだんだんとくたびれてきて、本来の作業用にと昇進??した。この靴は靴先に鉄板が仕込んであり、作業中、つま先を保護してくれる。
 数年前から右足の鉄板を固定している部分が内からも外からも破れだし、歩くたびに鉄がごそごそと動き小指が痛む。底もすり減りかなりくたびれてきた。ずっと履いているものでもないので、だましだまし履いていた。今回のドバイ行きのスーツケースに入れるべきかを迷った。ただでさえ重量制限のある荷物に作業用のヘビーなこの靴は重すぎた。だが、制作に関しては使い慣れたものをとこだわり、最終的には他のものを諦めてでも持って行く事にした。
 歩くと小指の痛いこの靴ではあるが、今回これに妙に癒される場面が多かった。右の地面の模様は蓮の葉をつくっている時にできたものだ。すっかり自分の足に馴染んだ靴と蓮の模様との構図は、一瞬僕の心を捉えた。おもわずシャッターを押した。作業中イスに座り、ふっと足元をみた瞬間、この靴とともにこれまで日本で制作した様々な記憶が頭を一瞬駆け巡った。日本から無理をして持ってきたこの靴がとても心強い味方に思えた。そして彼が「今回も大丈夫だよ。」と言ってくれた。
 最近の僕は、ものを増やす事を好まない。ましてもうこれから使うあての無い物を大事に取っておく趣味も無い。しかしどんなものであっても今まで使ってきたもを捨てるという行為は辛いものだ。しかしこれは生きていると避ける事のできない小さな別れだ。シンポジウム後半には小指の痛さも我慢できなくなり何枚もバンドエイドを重ねて貼って作業した。
 シンポジウムも終わりホテルで荷物をまとめる。机の下においてあるこの靴に目をやった。スーツケースにもう一度納めるべきか・・・ 少しの間、考える。日本に持ち帰ったこの靴の行く末を想像してもいい結末をイメージできない。
 苦慮の末、この靴を蓮の作品と共にアラブの地に残していく事に決めた。友を残して帰るような気持ちがした。

2004.4.29(撮影04.3.18)

47 いざ、アラブへ

 つい半月前まで今年のかたちが見えないと言っていた矢先、今年のかたちが くっきりと見えてきた!アラブ首長国連邦(U.A.E)のドバイへ行く事になった!
リゾートではない。彫刻の仕事である。ドバイで3月に開かれるEMAAR国際アートシンポジウムに参加する事が先月末に決定した。
 やっぱり世の中、突然何が起こるかわかったものではない。まだ確定していなかった今年の個展や企画展もここ二週間でパタパタと決まってきて最後に海外で作品をつくれるチャンスまで廻ってきた。今年の動きはこれで決まった。
 このシンポジウムは世界各国から40人の彫刻家と40人の画家が招待され、ドバイに滞在し総勢80人で約2週間のあいだ公開制作を行い作品を完成させるというかなりハードで大掛かりな国際シンポジウムである。
 新聞に書いてあるように、ここ最近ドバイはリゾート地としてのかなりの力の入れようであるらしい。そして現在ここに世界規模のショッピングモールをつくっているらしく、その完成にあわせ制作した作品をそこへ収蔵していく計画らしい。
 このシンポジウムの参加のきっかけは、宮崎の彫刻家の田中等さんのおかげである。もともとは田中さんに舞い込んだ話しなのだが田中さんが3月はきわめて多忙なため僕にこの話をまわしてくれた。通常、彫刻のシンポジウムは石彫が主流であるが、ここでは金属の作品もつくる事ができる。そう言う意味もあってか今回僕を紹介してくれたのであった。本当に願ってもないことであり、ありがたい事であった。
 つい半月前に漠然と考えていた、これから僕がしていかなければならない事が現実に目の前にやって来た。まったく違った環境の中や限られた時間内でどれだけ自分や作品を存在させる事ができるのか?まさにこれは彫刻家の武者修行である。それと同時に僕の英語力も早々に試されることにも・・・?
思いもよらず早くまわってきた修行の場に武者震いの毎日である。

2004.2.11

46 今年のかたち

 まだ今年のかたちが見えない。
今年も昨年のようなおもしろい展開が隠されているのか?いないのか?
毎年の事ではあるが、今の自分にはまったく想像がつかない。

 漠然とながら、ここ10年はやって行かなければならない事は薄々と感じている。
それは様々な状況の中に身を置いての自分の存在を確認して行く作業だ。
それは私自身の存在そのものでもあるし私がつくり出す作品の存在性という意味でもある。
 まず自らの環境をつくり出して自らを存在させるのではなく、決められた制限のある環境や状況の中でどれだけ自分自身として存在できるのか?それと深く向き合う事ができるのか?
時には環境に合わせ、時には環境をも変えてしまう。
もの事を見極め、表現できる力がほしい。

 ただ漠然とだがそんな事の必要性を感じている。
理屈抜きで様々な状況にどん欲に飛び込んでみようと思う。
少しづつでもかたちになって行くのではないか?

2004.1.15(撮影04.1.9)

Existence ブラインドの光とブロンズのオブジェ

45 続々林檎の結末

 大変だ〜! 僕の大切な宝物が崩れていく〜〜!!
うじ虫クンと僕のコラボレーション作品『The pure core of Apple』(たったいま命名!画像はココ)が崩壊の危機にある。
 この作品は、一昨年、3月から9月にかけて林檎を腐敗させ、幼虫に(たぶんウジ虫)に腐った実の部分を喰い尽くさせ、純粋に林檎の芯の部分だけを摘出する(ものつくり話12.13.16.17を参照)という大変難易度の高い技法を使って完成させたのである。多分、幼虫を使って作品を作ったのは僕が初めてではないだろうか?(笑)
 しかし僕が目を離している隙にまた新たなウジ虫クンが暴走して頼んでもいないのに次の仕事に取りかかっていたのであった。つまり、まだ喰っているのである。
 風化してこんな事になるわけが無いと思い、種の入っている部分を一部裂いてみた、するとやっぱり彼は隠れていたのである。下の写真の中左下に見える白っぽいやつだ。一昨年の秋に僕のまわりを飛んでいた小さなハエの何代目の子孫なるのか知れないが、幼虫のたくましさを見せつけられた。

“『実は食べても種は残す。』まさしくこれは自然界を成立させるための第一条件です。”

とんだ思い違いだった。自然界は僕が思っているようなそんなに甘っちょろいものではなかった。まさに弱肉強食の世界だったのだ。柔らかい果実がなくなっても食料がなければ堅い芯までも彼らは食べてしまうのだ。この事は常日頃甘っちょろい僕の肝によーく命じておかなければ・・・ならない!
 僕にとっては究極の林檎の作品だったはずのものが、さすがに本能だけで生きている虫クンにとってはこれはただの食料でしかなかったのだ?すなわち、僕とウジ虫クンとは目的がかなりくい違っており気持ちは通じていなかった。彼らには芸術を作れても鑑賞する能力は無かったのである。
もう今さらどう仕様も無いのでこれはこのまま放置する事にした。

 いまさら過去を悔やんでも始まらない。しかし僕はもう次の新しい作品の制作に取りかかっている。上の写真である。今回はこの冬に届いた信州の上等な林檎を素材とした。この林檎なら彼らも今までに増してきっといい仕事をしてくれるはずだ!
 また、何ヵ月も放置してみようと思う。しかし今度はしくじらない!完成した時点で彼らにもうそれ以上喰われないよう何らかの処置を施そうと思う。この経過はまた追々この場所で報告する事にする。   

 乞う、御期待!!

2004.1.3(撮影04.1.3)

44 年賀状

 今年の年賀状は、元旦に書いてみることにした。
毎年12月の中旬になると年賀状が頭をかすめ、軽いプレッシャーになってのしかかってくる。
 1992年の申年からひと回りすなわち今年の未年まで12年間、その年の干支となる文字を金色を使ってドローイングのつもりで描いてきた。
 その頃は、真鍮の丸棒を削って、曲げ、文字のようなかたちにしたレリーフを多くつくっていた。(レリーフ参照)そこからヒントを得た。思いつきで始めた年賀状シリーズなのだか12年間、この時期になってもいささか軽いプレッシャーで持ちこたえた。12年間出し続けている方には身内に不幸ががあった寅と午を除いて10の干支が揃っているはずである。
 しかしシリーズもひと回りしてしまい今年はどうしようとか?と今度は重いプレッシャーとなってのしかかってきた。
 これから12年間続けられるものは何か?なかなかアイデアが浮かばない。いっそ思いきって市販のもので済ませようか?とも思ったがやっぱりそれじゃーなー。と思い直しとりあえず今年の作品の気に入った写真をプリントすることにした。
 結構生真面目なところがある僕は、どうせ出すなら元旦に届くようにと頑張ってきた。年賀状は元旦に届いた方がいいという世の中の流れともうひとつの理由は、これまで年末から数日間四国の実家へ帰省していたせいもあり年が明けて京都に帰ってくきて年賀状を整理して返しているととっても遅くなってしまう事だ。しかしここ数年は色んな都合があったりして必ずしも正月に合わせて帰省する事は減ってきた。一度、膨大な数になってきた年賀状の整理と、元旦の挨拶という本来の年賀状の意味もふまえ一月一日に書いてみようと思う。

2003.12.31

1997年 私の干支である丑年

43 まさひろ

 私の名前は『まさひろ』という。漢字では『政弘』と書く。そしてこの写真のお酒(泡盛)の名前も『まさひろ』である。今日、近所の知人から頂いた。ありがたいことです。今この泡盛を飲みながら書いている。
 この泡盛の名前は数年前から知っていた。沖縄によく行く知り合いから「沖縄の酒屋さんに『まさひろ』って言う泡盛があったよ!よっぽど買って帰ろうかと思ったけど重いからやめた。」という報告があった。こないだ近所の大きな酒屋さんに焼酎買いに行った時、見つけてしまった。しかし買うには至らなかった。
 泡盛の『まさひろ』は1985年にモンド・セレクション国際品評会で金賞を受賞したらしい。その頃こっちの『まさひろ』は、というと大学を卒業し金沢美大の大学院に進んだものの慣れない土地で学生結婚をし、長男が誕生し、家族を持ったという重責と、先延ばしにした将来への不安と、なんとかなって行くだろう、という楽観とが入り交じり少しふさぎ込んでいた時期でもあった。今でもさほど状況に変わりはないないが、もうこの土地に住んで11年が経とうとしているし不安定な生き方にも慣れてきてしまっているのでふさぎ込む事はあまりない。現にこの土地にきてこんな素敵なお酒をいただいいたり、採れたての野菜を頻繁に頂くなどのコミュニケーションも成立している。子供達もそれなりにすくすくとたくましく成長している。二男は中学一年生、長男はもう来春高校卒業である。うまく行けば大学にも進学する。
 頂いた『まさひろ』と一緒に果汁100%のシークワサ−ジュースも添えられてあった。沖縄の酒には沖縄の柑橘が合うということらしい。宮崎で飲んだイモ焼酎も「この焼酎にはこの飲み方が一番」と言われて宮崎で採れる名前は忘れたが柑橘の果汁を搾って飲んだ。今話題になっているスローフードの考えだなぁーと思いつつ、氷を一つ浮かべ果汁で少し割って飲んでみた。スッキリとしてとてもおいしい。ストレートで口にするにはちょっときびしいアルコール度数43%の泡盛ともう一方のシークワサーは、口に含むと思わず顔がくしゃくしゃになるような酸っぱさで、かなり個性のきつい者同士なのだが、合わせる事によってお互いの隠された甘味がはっきりと前に出てきてとても飲みやすくておいしいカクテルに変身する。同じ土地で生産されたのもの同士の相性は抜群である。これは色んな道理にかなっていて無理がない。このお酒はきっと健康にもいいはずである。(飲み過ぎなければの話しなのだが・・・とよく人に言われる)
 などとぶつぶつとグルメ番組みたいに言葉を探しながらいい気分になっている2003年の年の瀬である。

 しかし問題は?!・・なんで泡盛の名が『まさひろ』なのか?である。

 気になるので沖縄の製造元比嘉酒造に電話したみた。答えは3代目の比嘉昌廣さんの名前であるらしい。「泡盛まさひろギャラリー」などを備えた沖縄で名の通った酒蔵らしい。
「沖縄にこられた折には是非当ギャラリーにお立ち寄りください。」と。
『まさひろ』という名を持った人には特別なプレゼンをもらえるそうな!

2003.12.29(撮影03.12.29)

42 よい買い物

 電子辞書の次に念願のデジカメを買った。これがまた優れものである。CanonのIXY DEGITAL30である。このクラス最小ボディーの85×60×25mmというこれもまたポケットサイズ。いままで使っていたデジカメの約半分の大きさだが画素数は倍以上の300万画素。ここ数年でデジカメの性能は飛躍的の進歩を遂げている。性能はいうまでもなくコストパフォーマンスも数年前に比べてとてもいい感じである。このカメラも「価格ドットコム」で安値を参考にし3万円以下で買える一番条件のよかった店で直接購入した。
 今回思ったのは通販もいいがやっぱり実物を見る事だ。これよりもレンズ性能、画素数とも性能の上回るIXY400とかなり迷った。そちらの方が1万円程高い。お金は用意していたのだが最終的にはデザインでIXY30の方を選んだ。僕の目にはどうしてもこっちの方がかっこよく見えたのだ。全体のメタルな質感とレンズまわりのヘアラインの処理、きっちりと凹凸で表現したロゴや文字の処理など普段金属を扱っている僕とすれば携帯する道具として性能よりもカメラの質感やデザイン性を優先してしまった。実際コンパクトカメラに400万画素も必要なのかという疑問もあったのだけれど久しぶりの苦渋の選択だった。
 このコンパクトデジカメが想像以上によく撮れるのである。このクラスでこんなによく撮れるのであればIXY400だったらもっとすごいのか?という疑問も湧いてくるのだが本当に満足している。
 ものをつくる人間にとって時にはスペックよりもデザイン性を重視する事はよくある話しである。

 Macのノート型のパソコンが欲しい。昨日、妻がMacを買うのにショップにつき合った。彼女の初代iMac、OS8.2がもう時代について行けなくなり使いたいソフトも何一つ対応していないのだ。OS10.2を搭載した新型iMacを買った。
 ボーナスのある彼女を横目で見つつ、僕は12インチのPowerBookに目が釘付けになっていた。白銀に輝くメタルボディー、まったくシンプルなデザイン。やっぱり他メーカーのものより出ているオーラが違う。
 さすがに数万円の買い物ではないので一応大人の僕でも今は買うあてもない。僕の限界はデジカメ止りだという事を自覚しつつ、OSXの扱いに多少の不安を見せながらも嬉しそうな彼女を横目に帰宅の途についたのだった。しかしノート型もやっぱり買うならMacだ!とハッキリと自覚できた事は一つの収穫だった。
 あと、おまけにもう一つ。電子辞書とデジカメを持ち歩くために小さなカバンを買った。さすがにどちらもポケットサイズといえどもその上、財布、携帯電話などポケットに入れるととっても苦しい。僕の好きなカバンのメーカーであるBREEにてちょうどいいカバンを見つけた。これも本当に気に入っている。どれも数万円の買い物なのだがこの秋にとてもよい買い物ができた事はとっても幸せな事である。

2003.12.20(撮影03.12.20)

Fine Pix 1300で撮影

41 電子辞書

 10月の末、電子辞書を買った。長男のすすめでCASIOを選んだ。23のコンテンツの入った機種だ。広辞苑をはじめ日常で使うであろう様々なジャンルの辞書が納められている。
 僕の目的は英語辞書だった。やっぱりこれからは英語とパソコン操作は避けて通る事はできない。先日のカナダの展覧会などでも英語の必要を強く感じた。パソコンの方はシステムの事はまったくわかっていないがMacのOS9でアプリケーションを幾つか使える程度だが自分のやりたい事くらいはなんとかこなせるようになった。世間からはOSXだ、PX、だという声が聞こえてくる。スペック不足は否めないが僕には今のMacには満足している。しかし今、ノート型も欲しくてたまらないがMacは高い。Windowsの波に押し流されそうである。一応、大人なので電子辞書くらいは少し頑張ったら思いつきでも買える金額である。インターネットの「価格ドットコム」をにらみながら通販で購入した。確か2万円を切っていたと思う。
 使ってみるとこれがまた大変便利な代物である。なぜこんな便利なものを今まで持ってなかったのかと思う。わからない英単語の検索はもちろん、いま巷に氾濫しているカタカナ語の検索、果てはふっと浮かんだ金属の融点まで百科辞典で検索すれば一瞬にしてでてくる。電子辞書内で異なった辞書間とのリンクもあって次々と検索がつながって行く。これはひと昔前ならドラエモンのスペシャルツールである。大きさが140×100×14mmの薄っぺらいポケットサイズの中に、積み上げると1メートルにも届きそうな辞書が詰まっているのである。便利過ぎる事の弊害を危惧しながらも今では片時もはなせないものになってしまった。

 11月の個展終了後、独学で英語の勉強を始めた。高校生の長男からもらった「基礎からの新総合英語」をバイブルに、電子辞書を武器にして、NHK教育の英会話の番組や市販本など使って進めている。長男に間違いを指摘され家族に呆れられつつも家の中で突然英語で喋ったり、友人に英語のメールを送りつづけ、だんだんと僕の英語はスキルアップしつつある!?ハズである??
 今欲しいのはネイティブスピーカーのお友達。駅前留学なんかしないでパソコン技術並み(かなり低め)には絶対に英語を使えるようになって見せるぞ!

2003.12.19(撮影03.12.19)