「もの」つくり話 61〜 ものづくりのつぶやきです。少しずつ追加していきます。

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「もの」つくり話

69 IXY DIGTAL

 2台のCanon IXY DIGTALがある。上はIXY30なのだが僕が以前から持っていたIXY30ではない。(42 よい買い物 参照)これは、今年7月に中古で買ったIXY30である。正確にはマイナーチェンジされたIXY30aだ。
下はIXY700。こちらは去年の11月に買ったものだが傷だらけである。中古で買ったのIXY30aの方はまったく傷もなく美しい。
 3年前に買ったIXY30は今年の3月に長男がスペインに行った時に帰らぬカメラとなった。日本には無事帰国は果たしたのだがスペインで不慮の事故、(単なる落下)に会いレンズが飛び出したまま曲がってしまいボディーに納まらなくなり液晶も点灯しない状態になって帰ってきた。事故なので長男をあんまり責める事はできないのだが本当に気に入っていたカメラなので悲しすぎた。
 IXY30は本当によいカメラだった。ポケットサイズなのでお手軽な記録用にと思って買ったのだが想像以上に便利でよく撮れる。それまで撮影に使っていたEOS 5の御株を見事に奪い国内の個展、グループ展、ドバイ、スウェーデンと海外のシンポジウム、展覧会などの数々の記録を残し大活躍してくれた。その写真はとても評判がよかった。しかし「42 よい買い物」 で書いたようにおぼろながら危惧していた性能の壁にぶち当たってしまった。群生した小さな蓮の作品の描写に限界を感じた。3.2MGピクセルでは何百枚にも及ぶ蓮の群生の輪郭が潰れてしまい振れたように写ってしまう。そこで去年の秋の個展を機にコンパクトカメラではその当時最高の7.1MGピクセルをほこるIXY700を購入した。(Canon以外は眼中になかった)IXY700は、IXY30とメディア、バッテリーとも互換性がありとっても都合もよかった。
 さすがに性能はピカ一であるがデザインに問題がある。この角をとりすぎた曲面が原因で何度も僕の手からスルリと抜け落ちた。それを防止するためにストラップを付けたのだがまたそれが仇となって大型液晶画面はキズだらけになった。
 IXY700はIXY30aよりも5g重い170g。しかもボディーも数ミリ大きめだ。それを克服するために全体に曲面を使ったデザインとしている。努力の甲斐あって、見た目にはIXY700の方が多少小さくみえる。しかしそのデザインが仇となって僕は何度もカメラを落としてしまい、そのつどキモが冷える思いがした。
 こういう小さな精密機器は大きさ、重さに対しての適切なデザイン性が必要である。ここまで小さくできれば、もうこれ以上小さく、軽くする必要はない。機能的なデザインに関しては、しっかりと角がありホールドできるIXY30aのほうに軍配が上がる。僕の自身この角張ったシンプルなデザインは大好きなのだ。
 IXY30が忘れられず中古を探していた。カメラのキタムラで程度のいいものがあるということで早速注文した。それは本当に極上品で箱、付属品とともに新品のような状態で手に入れる事ができた。
 IXY30aの方は今は妻が使っている。時々2台を並べては眺め小さな幸せを感じている。気に入ったものは所有しているだけで幸せである。

『小さくて重くて精密なもの』これには僕の心をくすぐるものがある。

この感覚は子供の頃少しづつ買い集めたミニカーを並べて幸せに浸っている喜びと同じである。

2006.10.25(撮影10.16)

IXY DIGTAL 30a

IXY DIGTAL 700
Y氏邸 門扉

68 Present

 最近になって金属と仲良くなってきた自分を感じる。
なんでいまさら?と思われるかも知れないが、今まで僕は自分に対しても人に対してもこう言ってきた。
「作品づくりは常に辛くしんどい作業。つくっている最中に楽しさなどありえない。でき上がった時にはじめて満足感を得る事ができる。」
制作と楽しさとは直結しているものではなく制作活動を通して生まれてくるものだと思っていた。
 よく巷で「楽しみながら」という言葉があふれているが僕には理解できない。趣味や遊びの中で使われるのなら理解できるが、何か一つの事に真剣に取り組んでいる時は楽しむ余裕なんかあるはずがない。実際、彫刻をつくる作業とは肉体的にも精神的にも苦難の連続である。僕にはつくる楽しさを制作中にはほとんど感じる事ができなかった。
 6月この門扉の作品を作っていた頃、制作を楽しんでいる自分に気が付いた。切断、切り抜き、面取り、曲げ、熔接と金属での制作は多くの工程を必要とするがその作業工程が楽しいのである。
 まず作品の最終の着地点をイメージし段取りを組む。どうすれば無駄なく(材料、時間)作り上げる事ができるか?制作する前に考え抜く。
考えていた作戦がうまく適中したらとってもうれしい。
場合によっては自作の道具もつくる。
うまく道具がつかえるとまた面白い。
ひとつひとつの作業を確実にこなし積み上げて行く。素材が形を変え行くの見るのが楽しくて仕方がなかった。作業工程も写真に納めた。
 まさに素材、道具と和やかに会話しながら仕事が進む。いつもと少し違う感覚である。無機質に見える金属の板や棒が僕の手を通してどんどんと姿を変え、ある意志を持ったものに変化して行く。これは素材との間に「愛」が介在しているのである。
 金属をさわりだして25年になるが、今また一つの壁を超えられる瞬間なのかも知れない。
金属は常に寡黙であり本質的な軸はぶれない。
変わったのは僕のほうだ。僕の方が折れてきたのだろう。僕の方が金属に対する要望が少なくなってきたのだろう。
この楽しい感覚はいつまで続くかわからないが、これは素材からのささやかなプレゼントだと思っておこう。

2006.10.3(撮影8.26)

67 鯖の煮付け

 6月に入り梅雨入り宣言がでたのだが一向にそういう気配を感じない今日この頃。良い天気が続いている。
先日の日曜日に久しぶりに友だちの家族と近所の森林公園に出かけた。ここは森の中に小川が流れていて自然を満喫できる。家からも近いので以前はよく来たものだ。ここ数年は子供達も大きくなったせいもあり、こういう場所とも御無沙汰である。
この日のメンバーは、大学からの友達夫婦とその大学生1の長男(高1の長女はクラブで不在)、うちは妻と高1の二男と私(大学3の長男はバイトで不在)の6人での焼き鳥パーティーとなった。
 最近、焼肉はあまりやらない。前日に仕込んだネギマ、キモ、ズリ、カワ、豚バラなどをじっくりと時間をかけて焼くほうがピッタリとくるのである。これは子供達も大きくなって以前ほどがっつかないのでゆっくりとやれる。あとは定番の鯛飯を土鍋で焚くと決まりである。
 ある程度お腹が膨らむと子供達は森に散策に出かけ僕達はビールなどを飲みつつ焼き鳥を焼きながら世間話。
遠くからうちの二男、貫(かん)の叫び声「サバやー、おとうさん、サバやー!!」川にきて何を寝ぼけた事を言うとんねん。とみんなで笑っていたらなんと本当にサバを拾って来たのである。それは「鯖の煮つけ」そっくりの石であった。なんと河原に落ちていたらしい。そのリアルさときたらこの写真の通りである。
まさか川の上流で「鯖の煮つけ」を拾うとは彼の嗅覚もたいしたものである。
さらに話を付け加えると、バイト帰りのお腹を空かせた長男が、お皿に乗せたこのサバに箸を入れた時にはみんなで本当に大笑いをした。

2006.612(撮影6.4)

66 瞬間

制作をしている最中にハッとする瞬間がある。
それは色であったりかたちであったり、それを取り巻く状況であったりと様々だ。
それは作品としての衝撃ではなく素材やかたちとしての存在感だ。
作家は作品の(素材の)本当の美しさを目撃できる特権を持っている。
完成作品にはみられない制作課程での素材の表情や組み込まれる前のかたちのおもしろさなど、作品にしてしまったらそこは取るに足らない部分かも知れないが制作課程ではそれだけが露出する。それだけで存在感のあることもある。

写真のパーツは只今制作途中の蓮の花の雌しべの部分である。これが成長するとあの蓮独特の蜂巣になる。
鑞型鋳造の石膏を取った後の取り付け用のネジを鑞付けするの前の瞬間だ。
耐火レンガの上に置かれた雌しべに左窓からうっすら光が差し込んでいる。美しい瞬間を感じる。立体性を強く感じる瞬間である。
しばらくの間 見入ってしまう・・・・。

しかし、それだけを抽出して作品とする力と勇気が今の僕には無い。忘れないようにとカメラに納める事が精一杯である。

2006.4.12(撮影4.7)

65 T氏からの注文 

 3月18日に去年作品を納めたお堂の落慶法要に招待された。このお堂は「水月道場」と命名され、たくさんの人達が集まり法要を終えた。このあと花街であるこの地区の芸者さん総出の派手な宴会でもてなされた。
 ここでの僕の仕事は中央に納まる三体の仏像の周りを囲む柵と燭台とセットにした蓮作品のお堂内の装飾である。
 この仕事を紹介してくれたのはもう10年以上も前から付き合いをさせて頂いているT氏からによるものだ。これまでも何回もあったT氏からの注文と同じように氏からの依頼は実に単純明快である。「このお堂は外との境がないので直接仏像が触れられないように柵がほしい。あとは蓮を使って好きなようにやってくれ」ただそれだけである。
 もう8年前にもなるが氏から依頼で仏具を作った事がある。この時も仏具に関して何も予備知識のない僕が少し躊躇していると、置く場所だけを指定して「わしは既製品は好かん。カタログなどは参考にせずここに合うもの好きに作ってくれ」言われた。
 今回もそれと同じやり方で始まり、宗派や決まりごとなど何も気にせず仕事を完成させた。納めた時は、はたしてこれで良いものなのかと多少の不安あはあった。だがそれは当然といえば当然での事で今までに無いものを作ったのだから違和感が無いはずがない。僕はあくまでも作家の立場でそれを完成させた。
 しかしその違和感も落慶法要の風景をみて不安は遠のいて行った。やっぱり時間とは大切なもので、年末に納めた僕の仕事がほんの数カ月経っただけで少しづつこのお堂に馴染んできているのを感じたのである。新築されたお堂とともに少しづつ時を重ね、風合いを帯びて行くのを見る楽しみをここにみつけた。

 現在、T氏からの依頼は三つある。一つは去年から預かっている銀製品を熔解して何か違うものを作って欲しい。という依頼。もう一つは祭事に使う水指し。しかし氏はそれをあえて「やかん」という。わしの手の大きさに負けないくらいのシンプルなかたちの「銀のやかん」が欲しいという。
 最後の一つは、氏はいま茅葺きの民家を別荘に作り変えている。その中央に作られた囲炉裏の上に合わせ照明器具がほしいとのこと。その民家の内部を見せてもらったが、茅葺き屋根内部の高さのある吹き抜け空間にしっかりと組まれたダイナミックな梁をみるだけで興奮してしまった。何か胸がワクワクする。それを見た僕の頭に和風テイストの照明器具のデザインが頭をまわりだした時に氏が一言。「こういう日本家屋にありがちなデザインではおもしろくないなぁ。」
 はぁ。今回、Tさんはそう来ますか。これはケンカですなぁ。安易に和風と考えたぼくの頭を少し修正。
 すべての注文はこのように少しの条件を僕に与えてくれる。それ以外はまったく抽象的でしかも期限も切られてはいない。
 何らかの目的を持った作品は僕の仕事の幅を世界を広げてくれる。そして切られてていない期限は、現代風に早急に答えを出そうとする僕の頭を冷やしてくれる。

2006.3.25(撮影3.18)

「水月道場」福井県小浜市の町並み保存地区
生命のかたち 香炉 部分

64 穴

 年末から関わっていた仕事も2月の前半に一段落し、大学も今は春休み。
ここ最近は家にいる事が多い。コンペティションのプランニングをしたり本を読んだりの何となくな毎日を送っている。外に出るのは週に数回。こんな時間も必要だとは思うがもう何週間もこんな生活を送っているとだんだんと貧乏性が顔を出してくる。
 今年はゆったりと構えて行こうと思うのだがやらねばならない事は山積している。お金に直接関わっていなかいったり期日の切られていないものにはなかなか腰が上がらない。無目的に一日を過ごしていると本当に一日が短い。
 起きる。朝御飯。パソコンの前。お昼。本を読んだりだらだら。妻の買い物に付き合う。晩御飯。本を読んだりだらだら。ニュースをみる。寝る。
こういう生活は一週間の過ぎるのが本当に早い。そろそろ抜け出さなくてはと思う。体を動かさなければ---。

 このダラダラ生活の中で見つけた言葉。
養老孟司さんの言葉。「仕事とは社会に空いた穴」という言葉だ。氏の著書「バカの壁」は数年前に大ブームになって、なにかしら読むのが気恥ずかしく読む機会を失った。先日、本屋で何気なく手にした氏の新刊「無思想の発見」という本を読み始めた。これはやっぱり「バカの壁」から始めなければと図書館に向かった。ここで「壁」シリーズを3册「バカの壁、死の壁、超バカの壁」を借り一気に読んでしまった。養老さんの考えに大いに賛同する事は多いが今の僕にはまだピンとこないところもある。

 教育機関に携わっているものとして得に美術系の大学生にとって将来の仕事とは本当に厳しい問題である。「自分に合った仕事とは何でしょうか?」よく聞かれる質問であるが僕は学生には「とりあえず就職がきまったならあれこれ考えず観念して一生懸命働け!」とけしかける。「そうすると道は開けてくる。」と言う。
 それをうまく表現した言葉が養老さんの言う「仕事とは、社会に空いた穴を埋める作業」だ。詳しくは本を読んでみてください。
 40を過ぎてやっと社会の中に空いた自分の埋めるべき穴が見えつつある僕が若い頃には戻りたくない一番の原因はここにある。10代後半から30代にかけて溢れる無駄な情報の中で体をはってやっと見つけた穴をもう一度探そうという気にはもうなれない。若い人達にはこれから広角な前途もあるがそれだけ未知な不安というリスクも背負っている。もうすぐ卒業する人達には養老氏の言葉を借りて送りたい。「自分に合った穴を探すのではなくて目の前に空いた穴を一生懸命埋めることから始めてください。」これがここ数週間のダラダラ生活の中での発見です。

2006.3.4

63 地球の裏側

 アルゼンチンのResistenciaで7月に開かれる「Chacoアルゼンチン国際彫刻ビエンナーレ2006」というシンポジウムの招待が決まった。今回の武者修行の場は地球の裏側である。これまでそれほど南米に興味を抱かなかった僕にとって本当に予期しない場所だ。それだけに今回のシンポジウムは大切な経験になるであろうと思う。
 このビエンナーレには世界40ケ国から272人の応募があり11人が選出された。日本からは僕だけであるが、おもしろい事にドバイのシンポジウムで一緒だったカナダのDon Dicksonも選考の中に入っていた。彼とはドバイ以来だが今でもメールのやり取りがある。
 内容はかなりハードで約10日の滞在で厚さ3mm×1.5m×3mの2枚の鉄板を使い作品を作り上げなければならない。実質制作日数は7日間くらいだと思う。作品の完成の後、審査があり上位数点には制作の報酬以外に賞金が与えられる。短期間で質の高い作品を要求される。
 今回のプランは現在展開中の「蓮シリーズ」である。ドバイ作品よりも幾分大きめで、水滴の表現にはガラスを使うつもりだ。ビエンナーレのテーマの「The Music」との関係付けは、蓮の葉からこぼれ落ちる水滴に音楽を感じるという内容を俳句風に英訳した。これは日本では少々恥ずかしいようなコンセプトだが海外ということで確信犯的に用いた。

 美術評論家のK氏に今回の招待の報告をした。K氏は南米での滞在経験が長く南米のアートシーンにはとても詳しい方である。今も今年東京で行われるアルゼンチンの美術展の準備でアルゼンチン大使館と一緒に作業を進めておられるらしい。丁寧にも頂いた返信の中にこの機会に少しでもスペイン語を勉強してはどうか、という助言を頂いた。現地で直接スペイン語でコミュニケーションがとれる方が人間的交流が深まり南米での世界がずっと広がるとの事。英語を3年勉強するよりもスペイン語を1年勉強する方が得るものは多いという内容であった。しかしこれは英語すらままならぬ僕にとってなかなかの重荷である。
 現在、ビエンナーレの事務局とのやり取りは英語で行っているが、スペインの観光地のバルセロナでさえ飲み屋のおやじには簡単な英語ですらまったく通じなかった事を考えるとヨーロッパと違い完全にスペイン語圏内の南米大陸では英語はなかなか通用しない事は容易に想像できる。

 今朝、大学生の長男が1ケ月間のスペイン語研修のためスペインに旅立った。経済学部なのだがどうもスペイン語が好きらしい。
帰国後、とりあえず彼に先生になってもらって実戦のスペイン語を学ぶことにしようと思う。

2006.2.11

Lotus plan for Argentina

想い 1

 最近自分の作品を言葉で縛る事はしない。これは何だときかれたら漠然とアートだと思う。カテゴリーで縛るアートの呼び方に疑問を感じる。彫刻、立体造形作品、金属工芸。どの名前に属してもそっちの名前に大部分が引き込まれる気がして躊躇してしまう。客観的に見ると僕の作品は金属を素材とした立体作品である。それを並べると金属立体作品となるのだが何か今の僕にはしっくりとこない気がするので今は呼ばれるままにまかせている。

 今年ある全国公募の工芸展を美術館に見に行った。その時にとても大切な事を発見した。金属工芸作家のオブジェを見て感じた事は新人から重鎮に限らずそのフォルムに不満を感じた。その共通した不満はその形に広がりを感じない。そして求心力も感じない。
つまりまわりの空間を必要としない作品ばかりだったということだ。(作品の並べ方にも大いに関係があるのだが。)よくできているだけ。これが今の日本の現代工芸であるのなら僕のいま求めている物とは明らかに違っている事を感じた。唯一僕を引き付けた作品は鮮やかなブルーの釉薬に彩られた伝統的なつる首の花器であった。
いい作品とは見た目の美しさもさる事ながらそれを軸に広がる空間の気配を感じる。それを感じさせるには見た目は簡単に見えるものでも様々な要素をクリアーして成り立っている物だと思う。
 
 20台後半から40才前までは彫刻と言う言葉に縛られていた自分がある。
僕の作品は本当に彫刻と呼べるものなのだろうか?という疑問と不安がいつも付きまとっていた。
しかし今の僕には作品を種類でわけるような言葉はあまり大切な問題ではない。つくり続けているということだけで、そんな事はどうでもよい気持ちになってきた。

 蓮の仕事をしていてはっきりとわかって来た事は今の僕は蓮をつくりながら空間をつくっているということだ。蓮は最小限の構成で立体であろうとする。僕の大好きな彫刻家であるジャコメッティーは人体をモチーフに粘土の塊を最小限度に削ぎ落として空間をつくりだそうと挑戦し続けていた。彼の言葉でいうなら「ほんのわずかな粘土のひとかけらでさえ一点の彫刻の中に残されてはいけない。」僕は蓮という植物にジャコメッティーのこの言葉を感じる。このジャコメッティーが現代彫刻において僕の理想であるならば僕は彫刻家への方向に進んでいるのかもしれない。何と皮肉な話であろうか。工芸家が好んで使うモチーフの蓮を使いながら彫刻への方向へ進んでいるのだから。

 この文章は去年の夏、制作に行き詰まった時に書いた文章である。ここ数年前からやっと僕なりの彫刻観が生まれだしてきた。例えば立体作品を存在させるにおいて、「光と影」の存在は切っても切り離せない関係だ。それが平面作品とはもっとも大きく違うところだ。そういう事はもう、とおの昔から誰もがわかっていることかもしれないが、僕が制作活動を通して体感し、僕自身でそれに気がついたという事が僕にとっては新しい発見であり、それらは、一生僕の手から逃げて行く事のない財産である。
 今年は少しゆっくりと動いて行こうと思う。それは決して武者修行をやめたわけではない。
40才台半ばに入りもう一度しっかりと足元を見直し50才に向けて疾走するための時間を取るということだ。今の僕には作品にならない作品も作る必要がある。

2006年1月5日

きれいな写真が撮れた。座っているのはユーレイではありません。妻です。

62 悲鳴! 

 2005年はまさに綱渡りの連続の毎日であった。余裕が無くギリギリの中で仕事をしていると色々な所がきしみ出し悲鳴が聞こえた。主な内容を掲げてみる。
「身体編」 
 6月の個展前に左親指をディスクグラインダーで切ってしまい7針を縫う怪我をする。(1cmほどだったが医者がサービスでたくさん縫ってくれた)
 11月の個展前にブロンズ鋳造の時、鋳型をバーナー焼いている最中、メタノールに引火し両手に火が燃え移った。慌てて砂場に手を突っ込み火は消えたものの右手にかなりひどい火傷を負う。手首に残った横一文字の火傷跡はある誤解を招くのか誰もその手首については触れてこない。
 どちらも個展前、僕は慌てていたに違いない。
「ツール編」
 突然プチッと電源が落ちてしまうという症状のiMac(ツートンカラー)を騙し騙し使っていたが7月末についにダウンし修理に出す。(最新型を買うメドもまったくつかないため)なんとかかった費用はあと数万円だすとWindowsのノートが買えるくらいであった。
 12月18日、日本中を覆う大寒波の中、福井県の小浜に作品設置を決行!無事作品は納まるが翌日、降り積もる大雪の中、ついに愛車ハイラックス(今年で18才)のギアが突然悲鳴を上げる。前にも後ろにも動かない。この車もついにここまでかと思い写真に納めた。だがここでまたもうひとがんばり、修理する事にした。次の車を買うメドがたたないという事はものを大切にすると言う事に結果的につながる。修理が完了したのは年年の瀬。まだ請求書は届いていない。怖・・・
 Macも車も御老体、夏の暑さ冬の寒さが原因だろう。ウソ

 その他モロモロと小さな犠牲はあった。いやこれらを犠牲という言い方は適当ではない。かたちあるものは崩れて行くものだ。人もいくら注意していても病気になることはあるし、そしてまた怪我もする。
それが自分自身であれば病気や怪我と一生付き合っていかなければならないが、それが長年付き合い愛着をもったツールであれば別れ際の判断に苦しむ。いくら気に入ったものでもツールとして役目が果たせなくなった時が別れになる。
 今の私の状態はものを大切にせざるを得ない。修理可能なものはもうひと頑張りしてもらうこととなっているのだが、仮にもしたくさんのお金を持っていたとしてもきっと感覚的な判断を下してしまうだろう。

2006.1.5(撮影2005.12.19)

61 和の空間

 1月5日の日記に「今年は日本文化について深く考える年になりそう」と書いてあった。その予感は見事に適中し日本ということを特に和空間考える事を避けては通れない年になった。
 今年の展覧会での特筆事項の一つには日本家屋での個展、グループ展を三ケ所で行った。2月に京都寺町二条の清課堂、春には大阪市内を見下ろす生駒山麓のギャラリー砌でグループ展を。11月に京都祇園の小西で個展をとこれまでになく和空間での発表に恵まれた。あと小浜市(福井県)の町並み保存地区の小さなお堂に蓮の作品の装飾をする仕事の依頼を受けた。これは年内中に設置する。

 和空間とは言葉の響きとは裏腹に中々の曲者でやさしく見えて作品を展示するには厳しい空間だ。畳、襖、格子、土壁、柱など、それぞれが顔を持っており、それらすべてが共鳴しあって和空間という大きな顔を作り上げている。特に柱、床などの木で作られた部分は長年の時の経過を物語っており新しいものでは太刀打ちできない魅力を持っている。
 もともと祇園のお茶屋さんであった小西の和空間は何もない時が一番簡素で、ある意味では美しい。作品などが置かれることを前提として作られている床の間、違い棚だけが物をおいても納まりが良く作品を拒まないつくりになっている。垂直、水平を基本とした和空間はきっと人が座る事を前提に作っているように思える。人がいて始めて柔和な空間に変身する。
 しかしここはギャラリーであり作品を置かないという訳には行かない。これは展覧会なのだ。

 僕の作品はほとんどが曲線でつくられている。直線的な空間と対峙するのではなくこの空間に生かしてもらう事を考えて作品を制作し、選定し、構成した。ここに生まれ育ち、生け花のお師匠さんでもあるオーナーの知恵も拝借し今回の展示は今の僕にとってはとても満足のいくものとなった。
 しかし個展を終え作品をすべて片付け、もとの凛とした空間に戻った瞬間それを美しいと感じた事は否めない事実である。本来ならば作品はほんの数点で十分である。

 遅ればせながら最近になってやっと自分が日本人であるという事を強く意識し出した次第だ。

2005.12.6(撮影11.15)

香炉 祇をん小西の中から花見小路を見る