- Emaar International Art Symposium 2004
March 9th〜24th
1月に入って宮崎の彫刻家 田中等氏からこのシンポジウムの参加の呼び掛けがあった。ここ最近海外の発表に大変興味を持っている僕は願ってもないチャンスと早速応募してみる。オルガナイザーのtalal氏に様々な資料を提出し、慣れない英語のメールでのやり取りの末、1月末に招待が決まる。
- このシンポジウムは、40人の彫刻家と40人の画家が世界各国から集まる大規模なもので、彫刻家は2週間、画家は1週間の会期でUAE
アラブ首長国連邦のドバイに集まりそれぞれが作品を公開制作する。そこで制作された作品を彫刻と絵画の二部門に分けコンペティションを行い1st
2nd 3rd に賞を与えられるというものだ。日本からは私の他、長野の石彫家の小池光典氏が参加する。
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出発 3/9(火)
- エミレーツ航空で聞いた手荷物の重量制限に四苦八苦する。荷物を二つに分けるとトランク自身の重さがかかるので、持ち込み手荷物以外は無理矢理、一つのトランクに詰め込んだ。電動工具類は持って行かないが、作品の一部となるブロンズのパーツが合計で10キロにもなる。それに大変苦労した。ブロンズは持ち込み手荷物の7キロという制限いっぱいまで詰め込み、後はトランクに。ぴったりの23キロと7キロの荷物ができあがる。奈良からリムジンバスで関空へ。空港にて万が一のために生命保険に加入する。空港のチェックインカウンターでは、手荷物の重量制限の苦労はなんの事は無く「預かり荷物は30キロ、持ち込み手荷物は10キロまではサービスです。」と笑顔で言われてしまった・・・。持って行きたい物は他にたくさんあったのに!
- 夜の11:20にドバイに向けて飛び立つ。このフライトスケジュールを知らされたのはほんの3日前。しかもメールでフライトの予約を知らされただけ。向うに着いてからの事は一切連絡なし。ホテル名すら知らされていない。とりあえず指定された飛行機に乗ってみる事にした。
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1日目 3/10(水)
- 無事ドバイに到着する。時間はちょうど日本から5時間遅れの朝の6時55分。トランクを受け取り空港出口付近でうろうろするが誰も迎えに来ていない。10分くらいして一人の男がマサヒロか?と尋ねてきた。車に乗りNOVOTEL
HOTELに案内される。立派なホテルである。チェックインの際、小池さんのルームナンバーを聞き、小池さんと初めて対面する。お昼頃ロビーに集合だと聞く。まったく眠れないので今回つくる作品のデッサンにかかる。ここへ来て初めて今回つくる作品のかたちがはっきりと見えてきた。
お昼にロビーで次々と作家と対面するがまったく顔と名前が覚えられない。外国人の名前の発音はむずかしいし40人は多すぎる!
- バスに乗ってシンポジウム会場に案内される。まだテントがはってあるだけでほとんどそれらしい用意はできていない。数個の石をおろしている最中だった。金属の作家もここでつくるのだろうか?ここで昼食をとりホテルに戻る。
- 4:30に再びバスで何処かへ出発だと聞いたが、韓国のSooと部屋で喋っているうちにバスに乗り遅れてしまい取り残されてしまった。残されたものばっかりでショッピングモールに案内されるが疲れていて、まったくそんな気にはなれない。そろそろ帰ろうと言う事になり、誰かが歩いても30分くらいだと言うので歩き始めるがなかなかどうしてとても遠い。たっぷり1時間くらい歩いてホテルにたどり着く。寝不足と合わせて体がよれよれになる。ロビーで主催者から名札を渡されサインをすると今回のギャラである約束の2000ドルを受け取る。
- 8時からホテルのレストランで夕食。これと言ったレセプションもなく雑談に終止する。これがアラブ式なのか・・?最後にオルガナイザーのTalalから石を積んだトラックが国境の税関で何かトラブルがありストップしているらしい。到着が1日遅れると言う伝達がある。
- こういう事ばかりが積み重なって、後に、このシンポジウムの最大のトラブルの原因になる。11:30頃ベッドに入る。
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2日目 3/11(木)
- 7時のモーニングコールで起きる。8:30分にバスに乗り会場に行くが、昨日と何一つ変わっていない光景を見て愕然とする。どうもこれから電源などのセッティングをするらしい。何ということだ!石は昨日の話の通り半分くらいしか揃っていない。金属作家の材料も道具もほとんど揃っていない。僕の使う鉄板と丸棒はとりあえず運んできた。しかし何とすべて亜鉛メッキをしてある。直径30mmの丸棒も念を押してパイプではダメだと指定してあったのにもかかわらずパイプが届いている。何とも言えない気持ち。材料の揃っていない作家らは目をつり上げてここでの短い制作期日では間に合わないとブーイングの嵐。
- ここへ来る前からメールで交信のあったメキシコのJavierはやたら僕の仕事に興味があるらしく真剣なまなざしで作品について問いかけてくる。早口の英語でほとんど僕には理解できない。しかし彫刻に対する熱い思いはダイレクトに伝わってくる。あと英語のあまりわからない僕に韓国のSooとスエーデンのIan、アメリカのJonがわかりやすい英語で僕に親切にしてくれる。
- 今日は、ほとんどの作家は何もしていない(できない!)が、とりあえず僕は、蓮のかたちを鉄板に描いて行く。昼食後、アセチレンガスが届く。機材のセッティングをして3枚分の蓮を切り抜く。他の金属作家達の作品は話によるとかなり大きそうだ。下仕事はほとんど工場にまかし、あと溶接するだけの仕事がほとんどみたいだが僕は僕のやり方でやるのみだ。
- 今回の僕の仕事のポイントは鉄板やパイプをどれだけ生き物のように柔らかく見せられるかだと思う。表現力を問われる仕事である。コロンビアのMonicaエクアドルのLuisやイランのTaherなど仕事を終えて雑談する。少し楽しくなってきた。英語の苦手な人と話す方がペースが合う。こちらのアシスタントの職人たちともすぐ仲良くなる。
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Tonとラクダに乗る
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3日目 3/12(金)
- 午前中は、残りの3枚の蓮の溶断を終わらせる。Monicaに誘われ午後からサファリツアーに行く事にする。4時頃ホテルまで迎えに来た現地のガイドの運転するTOYOTAの4WDに彫刻家5人で乗り込んで30分程高速道路を走ると広大な砂漠が目の前に現れた。高速道路で同じ行き先のサファリツアーの車でいっぱいになったのだが、どの車も日本製である。ほとんどがトヨタのランドクルーザーだ。この異国の地でこれだけの日本車に囲まれると何だか嬉しくなってきて感動してしまう。それにしてもここドバイで走る車のメーカーの割合は日本のそれとさほと変わらない。約90%が日本の車である。みんなが口をそろえて日本製品は最高だという。
- 砂漠の中に入りアップダウンに富んだ砂漠を4WDで縦横無尽に走りまくる。砂は赤みがかったとても美しいもので思わず手ですくいあげた。僕達のつけた足跡や車のタイヤの跡など、次の日になると新しい風紋で跡形も無くなると言う。丘でさえ毎日、形が変わっていくという。
- 見晴しのいい場所に車を止めて、地平線に沈み行く夕日を見る。1秒1秒と太陽が砂漠の中に吸い込まれて行く光景に思わず目が釘づけになる。とても神秘的な気持ちになってくる。太陽の遥か左方に見える火を吹いている一本の油田の煙突が印象的であった。
- 薄暗くなってきたら砂漠のまん中につくってあるキャンプサイトに案内される。ここでバーベキューを食べ、ベリーダンスを見る。途中、踊子が僕達のテーブルに近寄ってきてダンスのパートナーにオランダのTonを指名する。陽気な彼は何の躊躇もなく舞台の中央に出て行きスティックをお互いのへそとへそで押し合うセクシーダンスを嬉しそうに踊子と踊る。観客一同から大喝采がおこる。この後、僕達も舞台中央でアラビア音楽に合わせ踊りまくる。彫刻家グループは最後まで踊っていた。僕の仮説である「彫刻家は踊り好きが多い」と言うのはやっぱり世界共通だと実感する。
今日のツアーは盛り上がった。ビールも自由に飲めたし、彼らの英語が少しは聞き取れるようになってきた。だが疲れている時は聞こえないフリをするのが一番だ。明日からは作品に集中したい。今の悩みは、みんなは24日なのに僕だけ27日のフライトになっているチケットの変更の事だ。一応は係りのものに言ってあるのだが何を言ってもNo
problemという彼らを信用してよいものか?何か僕は彼らの言葉は怪しい気がする。
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4日目 3/13(土)
- 8時のバスで会場に行く。電源の接続は明日になりそうなので3枚分の葉のパーツの溶断とグラインダーがけを終える。午後6時に今日の制作を終える。始めて一日フルに仕事ができた。明日の午前中に電気溶接器をセットしてもらう予定だがなんだか怪しい。今はグラインダーをかける時だけ電源のある所までパーツを持って行って仕事をしているのでかなり能率が悪い。毎日、明日届くと言われている石もまだ届いてはいない。本当に一体ここはどうなっているんだ?今日は4日目なのに今ここで作業しているのは40人の作家中半分にも満たない。16人程いる金属の作家もここで仕事をしているのは僕を含めて3人だけである。他の金属作家は何処かの工場にいったのか?
- オルガナイザーの答えはすべて「明日、きっと○○だろう」という返事ばかりで、いつも言葉尻に「May be 」が付く。帰りのバスの中で誰かが皮肉ってこのシンポジウムは「May
be tomorrow Symposium」だといってみんなから大受けする。まったくその通りである。この僕の材料もまだ揃っていない。ここへ来る1ヵ月も前に材料と必要工具のリストを提出しているのだが・・・。
- 写真は切り抜いた鉄板の隙間にたまった砂。さすが砂漠の国!!一晩たって鉄板のパーツをそーっとめくるとこんなおもしろい砂の模様ができあがる。
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5日目 3/14(日)
- 8時のバスで会場に行く。午前中、石のトレーラーが到着しかなりの数の石を降ろしている。が、Sooの石はまたもや載ってなかったらしい。彼はかなりふて腐れている。もっともだ。初日から仕事を始めている作家は少しづつ作品の姿が現れだし始めている。
- 僕の方も溶接のコードは延長してきたものの電気が通っていない。それもまた明日らしい。いいかげんうんざりしてきた。6枚の葉のパーツのグラインダーがけを終える。これまでの経過を考えて明日電気が通ると言う言葉はあてにならないので溶接とグラインダーの使える場所まで明日引っ越しする事を決意した。
- ホテルに帰りIanと歩いて15分くらいの所にあるインターネットカフェに行く。日本でも行った事がなく始めての経験である。料金は一時間で日本円で340円くらい。久しぶりにメールチェックができた。こちらのパソコンからは日本の字体を入力できないのでローマ字で返事を書く。ここは日本とを結ぶ唯一の癒しの場である。今日から日本好きのIanの日本語教師になる。
- 彼は、「Hasegawaはとてもよい日本語教師だ!君の教え方は非常にわかりやすい。」ととても喜んでいる。
- 写真は会場へのバスの中。様々な環境が整なわない悪条件にもかかわらず作家達はとても陽気でいい人達ばかり。
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6日目 3/15(月)
- 朝一に制作場所の引っ越しをして、気合いを入れ溶断した葉っぱの組立にかかる。思うようなかたちになりそうでほっとする。と同時にまわりの作家などが僕の作品に注目しはじめる。何人もの作家からGood
idea! Very good work! などとお誉めの言葉をかけられる。アシスタントの職人やお昼のデリバリーに来ているレストランの人達が何度も見に来てくれ何人もの人達から「こういう風になって行くのか。やっとわかった。あなたの作品が一番好きだ。」などと言ってもらう。
- やっぱり僕の想像通り引っ越しは正解であった。今日になってても前の場所は電源の通る気配はない。
- こちらは今が一番いい季節で気温は、だいたい25℃前後で過ごしよいのだがとても湿気の多い日や猛暑の日がたまにある。一応テントの下で制作しているのだが直射日光は避けられず日焼けがすごくなってきた。何人もの作家が日焼け止めクリームを差し出してくれる。
昼から石待ちのIanとユーゴスラビアのGiorgieと一緒にスーク(市場)に買い物に出かける。金のアクセサリーで有名なゴールドスークで妻にホワイトゴールドのネックレスとブレスレットを買う。偶然Ianと趣味が同じみたいで彼も同じデザインものを買い求める。さすがにここで売っているようなゴージャスできらびやかなものからは引いてしまう。ダウンタウンの店の生活雑貨は驚く程安い。値切りOKなので買い物は楽しい。
ホテルに戻りシンポジウムのメンバーであるイラクの作家のドバイでの個展のオープニングに出かける。アラブ圏の作家なのになかなか、あか抜けた作品である。(あっ失礼!)
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7日目 3/16(火)
- 家を出て一週間が過ぎた。昨夜恐い夢を見て目が覚め眠れなくなる。薬を飲みモーニングコールで起こされる。
- ここへ来てはっきりわかった事はやはり今ある現状の中で自分をどれだけ最大限に生かす事ができるか?という事だ。これはいつも自分に対して言い聞かせていることなのだが、そう言う考えがいかに大切かと言う事が鮮明になってきた。そして僕はカーブ(曲線)が好きなのだ。それも自然形態に含まれた曲線だ。子供の頃から好きだった人物クロッキーの線。これも自然の美しい線だ。僕は美しい線を見たいがため彫刻をつくっている。
三枚目の葉にかかっている最中また電源がストップする。ここではよく電源が止まりイライラするが、最大のストレスの原因はちゃんと英語でコミュニケーションが取れない自分に対してである・・・。しかし、ここではここの主役である作家のペースでまわりが動いているのではなく、あくまでもこのシンポジウムに関わっている人達個々のペースでしか何事も動いていない。
- 色々と大変な事が多いが、こんな経験はめったにできない。ここがふんばり所とイライラしている自分に言い聞かせる。今日は蓮の三枚目の半分くらいまで進んだ。
- ホテルに戻りIanとSooとでインターネットカフェへ行く。Taherもいて下ネタのバカ話しで盛り上がる。この人は下ネタ大好きである。いつも明るく今回の作家達のムードメーカーである。しかし毎日のバスの中で彼のかける大音量のイスラム音楽にはほとほといやになってきた。もう勘弁してよ!!
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8日目 3/17(水)
- 今日は珍しく小雨が降っている。昨日に続き蓮の葉の組立を行う。
午前中に、作家自身が何も手を下していないであろうと思われる金属の完成作品がトラックで運び込まれてきた。複雑な思いだ。
- 僕の思い描いていたシンポジウムのイメージは、作家同士が同じ場所と時間を共有し会話を持ち刺激し合ながらお互いの作品をつくり上げて行く。そんなイメージを持っていた。石を素材とした作品はある程度それが可能であろうけれど、作品によっては複雑な加工を要する金属作品はそういう事は難しいのか?
- テントの下でガスと電気溶接機とグラインダーしかないこの会場では「制作不可能」と、作家が個々に主催者と交渉して工場へと散らばった。あらかじめ外注制作を前提として参加した金属作家も何人もいたみたいだ。結局この野外のテントの下で完成させた金属作家は最終的には16人中僕を含めてたったの4人である。
- 僕自身も出発前に、一体どんな環境で制作できるのかさえ想像できず、一番シンプルな道具で制作できる作品のプランをたてた。これは英語のままならない僕にとって大正解であった。それなりに苦労をしているが基本的にはアセチレンガスと電気溶接機とグラインダーだけでつくれるのだ。
- しかしさっきの話に戻るが、連日熱い日射しの中、汗水流しほこりまみれになってここで制作している僕達にとったら、いきなり工場から外注作品が運ばれてくるのを見ると、実際、ガックリとくる。何かやりきれな思いがするのは確かだ。果たしてこれがシンポジウムと呼べるのだろうか?シンポジウム期間の半ばも過ぎてなお道具や素材もちゃんと揃っていない作家が多くいる中、まして公平なコンペなど行う事ができるのであろうか?
- 夜、主催者側からコンペの是非を問う用紙が回ってきた。9割の作家が反対の所にチェックをしてあった。
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- 一日の仕事を終えてバスを待つ彫刻家達
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9日目 3/18(木)
- 午前中に5枚目の葉を組み上げる。この時点で葉は6枚も必要無しと悟る。全体を5枚の蓮の葉で構成する事に決めた。同時にこの夏にある東大阪市民美術センターで行われる「蓮によせて」という企画展に出品する作品のアイデアが明確になった。吹き抜けの2階の手すりからこれと同型の蓮の葉を持ち出してこぼれ落ちそうな水滴を表現し一階にもう一枚の蓮の葉を配し上からの水滴を受けるという作品の構図がはっきりと見えてきた。カナダで展示した銅の作品群だけではインパクトに欠けるとずっと気になっていた。帰国したら追加展示を交渉してみようと思う。明日、5枚の葉をどう構成するかを考えながら葉の細部の仕上げをする。
- 今日もインターネットカフェに行き、ホテルで夕食を食べ9人で初めて外へ飲みに出かける。海辺のリゾート地のホテルのパブで生ビールを飲む。ここではロックのライブをやっておりガンガンと聞き覚えのある曲を演奏してくれる。体にアルコールが回ってきて自然と体が動き出す。、生き返ったような感覚だ。ロックミュージックというものがいかに自然に体にしみ込んでいたか、という事を初めて実感する。毎日、朝のバスで聞かされるTaherのイスラム音楽で頭がおかしくなりそうだった。(笑)この店を出て下の階にあるアラビックバーへはしごする。ビートの強いアラビア音楽をガンガン演奏しており、怪しい衣装を着たお姉さまが10人くらいまん中のステ−ジで踊っている。店の中は強面のボディーガードのような男がうろうろしている。きっと踊子が気に入れば持ち帰れる仕組みなのだろう。ここでも彫刻家軍団はそんなこと皆お構い無しに踊りまくる。逆にステージのお姉さまから拍手喝采を浴びてしまう。言葉はままなら無いがパフォーマンスは世界共通の言語である。
- アラブへ来て今日初めてお酒に酔った。一時半頃ホテルに帰る。
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10日目 3/19(金)
- 今日は一つ遅い9時のバスに乗る。茎の部分の制作にかかる。今日一日で5本分の茎のかたちができあがる。とても荒い仕事だが全体像もほぼ見えてきた。ここまで来たら峠を越えたようなものだ。まわりの作家や見物人からの評判もいい。
作品の全体が見えた瞬間、安心からかド−っと疲れがの波が押し寄せてきた。まったくもう頭が異国の地の現実について行けない。言葉の違う人間との会話はテンションを上げないといけないのでとても疲れる。一人になるとぐったりする。一日中躁鬱を30分ごとに繰り返しているみたいだ。黙って作品をつくっている時間が一番リラックスしている時間である。
- 仕事が終わりホテルに帰りシャワーを浴びバスタブでの中でじっとする。ホテルの部屋が一人の空間でとても助かった。今日はどうしても人の大勢いるホテルのレストランに行く気になれずスーパーで寿司とカップラーメンを買いホテルの部屋で誰にも会わずひとりで食事した。今朝もあまりお腹も空かないのでレストランには行かず紅茶だけですました。プチひきこもりか?10時頃から眠る。どうも、心身共に疲れが今日ピークに達したのだと思う。
- 写真の人はインドからの出稼ぎ労働者のアシスタント。暇そうなので今日一日手伝ってもらった。溶接ができるらしいので簡単な溶接をしてもらったがあまり上手ではなかった・・・。
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11日目 3/20(土)
- 今朝はよく眠れた。久しぶりに和食を食べたせいか日本の夢をずっと見ていた。朝バスの中で言葉もできないのによく一人でここへ来たものだ、とあらためて想う。ただ、海外で制作したいという衝動にかられてここまで来たのだと思う。今でも考えよりも行動が先にでてしまう事がしばしばある。
- オルガナイザーとうまく様々な交渉もできず、自分の本当の気持をうまく他の作家に伝えられないもどかしさ。今の僕のナーバスな現状など予想できていたらここに来る事を躊躇していたかも知れない。だが、この状況にいる自分がとても好きだし、ここへ来れた事にとても感謝している。ここでの経験は、すべてがこれからの僕の財産になるのだから。
- 朝、Ianが帰りの僕の航空券について主催者にきつく尋ねてくれる。「明日ではダメだ!今日だ!」と。かいあって変更完了のコピーをやっと受け取る事ができた。親身になって代弁してくれたIanに大感謝!来た時から課せられていた心の重荷の大部分から解放された。しかし相変わらず作品のベースプレートは届かない。最悪の自体に備えるために誰も使っていないステンレスの板を2枚確保する。これもIanが交渉してくれた。彼はとても正義感の強い人間だ。感覚も日本人に近いきっちりとした感覚を持っている。彼には本当に色んな事で助けられた。
- 消耗品も数少なくなってきた。グラインダーの刃も溶接棒もう残りわずかになってきた。これも注文してもなかなか手に入れられないだろう。やり繰りしながら使わなければ。5枚の葉の茎との取り付き部分の溶接をすべて終える。一番目立たなくて面倒臭い作業だ。
仕事が終わってSooとTonとでビーチに散歩に出かける。きめの細かいとても美しい砂浜だ。夕食後、Tonと共にホテルの近くドバイのシンボル的な建物であるエミレーツタワーホテルの51階のバーでビールを飲む。外国人客でいっぱいだった。
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12日目 3/21(日)
- 作品がほぼ完成した。明日もう一度全体の確認をしてクリアーラッカーの残りを吹く事にした。そして砂の中に設置しようと思う。色付けの段で亜鉛メッキのかかった鉄板のせいで日本から持ってきた蜜鑞と黒鉛がほとんどのらない。付いた所もきたない感じを受ける。黒っぽい仕上げをイメージしていたのだが悩んだ末、亜鉛メッキの素地のままの仕上げにする事にした。会場のバックにそびえ立つ淡い色のビル群や真っ青な空は黒い色を拒否しているように思える。この暑い砂漠の土地には黒い色は似合わない気もしてきた。
- ブロンズの水滴をセットした。黒っぽい本体とのコントラストを意識してのブロンズの色だったので最初は戸惑ったが、離れてみると全体の彫刻としてのアンバランスさは無い。鉄板の切断した線がさびてくると案外おもしろい表情を見せるかも知れない。
現地で制作した作品をそのままそこへ残して帰る。そういう経験が今までにない僕は、急に寂しい気持ちになってきた。このドバイ生まれの彫刻はこれからどういう運命をたどるのだろうか?話によれば、ここで完成した作品達は、これからできる世界一の規模となるショッピングモールに配置されていくらしいが場所が場所だけにもう二度とこの作品を見る機会は無いかも知れない。できれば日本に連れて帰ってやりたい気持ちである。そして僕の思い通りの所までちゃんと仕上げてやりたい。作品は自分の分身である事を痛感する。
- 夕食の時、Tonが23日の受賞セレモニーの案内文を見て怒りだした。9日から始まったシンポジウムという所を16日と書き換え、シンポジウムの成功という所をを不成功と書き変え、「私達はこんな条件で制作した作品のコンペは望まない。賞金は40人全員に均等に分配するべきだ。」と書き添え署名を募った。ほとんどの作家がそれに署名した。
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13日目 3/22(月)
- いい場所に作品が置けた!砂に作品のベースを埋め、遠くにそびえ立つビル群をバックにした場所だ。これで作品にやるべき事はすべて終えた。
ネジ止めした水滴の何ケ所かが回って盗まれる危険性があるのでカナダのDonがその箇所を鑞付けしてくれた。彼は何から何まで用意周到であらゆるものを持ってきている。ギターまでカナダから持参していたのには笑ってしまった。予想通り熱で鏡面に磨いたブロンズが変色してしまった。変色を取る金属磨きが無い。さすがにDonもこればかりは持っていなかった。これは僕が持ってくるべきだった。僕のミスだ。日本なら何という事でも無くすぐさまホームセンターに走ればいいだけの話しだが、ここは本当に絶対必要なものすらろくに揃えてくれない所である。初日から必要だと言い続けてきたベースに使う鉄のプレートも結局届けられなかった。しかたない。もうお手上げだ。しかしテントの下から日射しの強い外に持って行くとさ程その事も気にならなくなった。ここはドバイ、異国の街だ。なるようになっているのだと思う。日本の価値観をそのまま持ってきてもここでは通用しないのと一緒でこの作品もここでの成り行きに従うまでだ。僕のできる事は100パーセント出し切った。
とてもいい写真が撮れた!今日は砂埃もなくスカッと晴れ渡った青い空である。下から作品を見上げて葉っぱを空の中に入れたアングルはとても美しい。ブロンズの水滴の効果も十分にある。他の金属の作品が次々と工場から運び込まれるが僕の心を動かすような作品は無い。僕の作品は他のに比べ小型だが見劣りする事は無い。というより単体で見ると実物よりも大きくも見える。これはきっと色付けをせず銀色のままにしておいた事も関係しているのだろう。黒くしてしまうと締まっては見えるが逆に小さく見えていたであろう。まわりの反応もとてもよくvery
good work !という言葉をたくさんの作家や見学者からかけてもらう。これですべてが終わった。十分な満足感が込み上げてきた。
今日忘れてはならない事がもう一つあった。朝起きて少しの間カメラのバッテリーを充電したが会場に行ってそれを忘れて来た事に気が付く。一番カメラが必要な時にである。9時半に着くはずのバスを待っていたが来ない。見学に来ていた老人にその事を伝えたら心よくホテルまで送ってくれた。そしてまた会場までも送ってくれた。本当に助かった。老人に今回使わなかったブロンズの水滴をお礼にプレゼントする。あと、ここで得にお世話になったIanとSooとTonとGorgieにそれぞれ好きなかたちを選んでもらいプレゼントする。僕のブロンズはこれでアラブ、スエーデン、オランダ、ユーゴスラビア、韓国へともらわれて行った。みんなにとっても喜んでもらったのでとても幸せな気持ちになった。
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14日目 3/23(火)
- 今日がシンポジウムの最終日。といっても作品は完成している。朝食後、今日をどう過ごそうかと思っているとTonから買い物とビーチへ行かないか?と誘いがある。断る理由もないので話にのる。DonとJeromeも一緒で4人でスークにでかける。仕事も終わったせいかとてもリラックスしている。ダウンタウンの活気ある街を徘徊し足りないお土産を買い足しビーチへと向かう。さすがにリゾートの目玉としてのスポットだけあってエメラルドグリーンのとても美しい海と真っ白の砂浜だ。市街に比べて幾分か涼しくソテツの木陰に入ればとても気持ちがいい。僕は海には入らなかったが昼寝をするには最高の場所だ。
シンポジウム会場にもう一度行き出揃った全作品を写真をとりながら見てまわる。ウォータージェットでのステンレスの切断がなかなかできなかったJonの作品を除いて、みんな最後にはちゃんと帳尻を合わせ作品を完成させている。さすがプロの彫刻家たちだ!
- 会場からホテルに帰るまで結局タクシーを拾えず一時間程歩いてホテルに着く。7時にロビーに集まりセレモニー会場へと移動する。ヨットハーバーを望む素晴らしい野外会場だ。300人くらいの人達が集まっている。マスコミも大勢いる。例によってまたたいそうな御馳走が振る舞われるが、やはりここでも一切のアルコールはでない。何と言うアンバランス。まわりの彫刻家は飲み物のオーダーを取りに来るウエイターに嫌味で「ビール」「ワイン」などと勝手な注文をする。シンポジウムのスポンサーであるEmaarの社長が80人の作家すべてに握手をしてまわる。それを数台のテレビカメラがずっと後を追う。Emaarの社長はとてつもないアラブの大富豪であるらしい。コンペは結局行われ1st
2nd 3rdの受賞者を読み上げる。見事、日本の小池さんがグランプリを受賞する。色々と問題を含んだコンペであったが同じ日本人の小池さんが受賞するという事は喜ばしい限りである。
セレモニーが終わり、何人もの作家は帰途のためにそのまま空港へ直行する。フライトまで時間のある作家達はホテルに戻った。IanとSooとTonとでホテルのバーでビールを飲む。みんなぐったりと疲れている。今日の深夜のフライトの三人をホテルで見送る。是非また会いたい三人だ。世界に素晴らしい友達を持てた事に感激してしまう。
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- すっかり現地に馴染んでしまった私
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- ドバイはたいへんに美しい街であった!
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15日目 3/24(水)
- ほとんどの作家たちが昨晩帰途についたみたいだ。僕のフライトは深夜の2:30である。朝レストランで残っている作家たちと雑談する。トルコの女性彫刻家のSuyon
Tupozは大変僕の作品が気に入ったみたいで丁寧なお誉めの言葉をいただく。イスタンブールに来る時は是非連絡するようにと強く言われる。彼女の英語も分かりやすい英語で自然と頭に入ってくる。本当に英語は人によって違うものだ。得にアラブ圏の英語はほとんど何をいっているのかさっぱり分からない。多分めちゃくちゃな英語を喋っているのだと思う。昼にインターネットカフェへ行くが6台あるどのコンピュータも日本語が表示されなくなっていて勘で今晩のフライト予定を書いて自宅に送信する。
4時のホテルのチェックアウトの際、飲んでもいないビールを2本分請求された。断固飲んでいないと突っぱねた。今までこのホテルであった不愉快な事の清算の意味もあり1500円くらいの事だがここでは絶対負けられないと思った。最後には高圧的な支配人まで現れ30分以上の押し問答の末、結局ホテル側が折れた。来た時と比べ一人でケンカできるぐらい英語の上達した自分に驚いた。
- フライトまでの時間を潰すため荷物をホテルに預けて居残りのジョージと画家のアティルと一緒にまた街にでる。7時頃ホテルに戻ってただただ時間の過ぎるのを待つ。10:30分発のバスに乗り空港へ。チェックインエリアは0番となっているのにどこを探しても無い。何度も行ったり来たりした後、尋ねてみると1番でいいとのこと。ホンマ一体どうなっているんだ!アラブちゅーところは???
- 1番でいいのならはじめからちゃんと1番と掲示しろちゅーの!その後は搭乗日の変更もすんなりとでき、これで一安心。もう日本は目の前だ。
- さらばドバイ!さらばアラブ!!
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3/25(木)
- 日本時間の夕方5時過ぎ頃関空に到着する。帰りの飛行時間は約8時間40分。大阪の気温は12℃。小雨が降りうす暗い。異様に真っ黒に日焼けし鬚面の僕は日本に帰るとアラブ人のようだ。帰ったら絶対に思いっきり生ビールを飲むぞーと思っていた気持ちもこちらに帰ってきたとたんに急にシューっとしぼんでしまった。もしかして自分はアルコール依存症では?と少し心配していたのだが禁酒の国でも何とかやって行けた。依存症ではない、という事がわかって少し安心した私でした。そして無事に日本に帰れてなにより。
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あとがき
- ドバイから帰ってきてたくさんの雑用に追われ三週間が過ぎた。今日やっと報告記をまとめるのができた。ドバイでのなぐり書きの文章はネガティブな内容が多い。そのほとんどが主催者側に対する不満と言葉が自由に話せない自分へのいら立ちである。出発前から「海外のシンポジウムは日本のようには行かないよ。」と何人かの作家から助言されていた。海外での制作はおろか、日本ででもシンポジウムの経験のない僕にとってすべてが初めての経験だった。「郷に入れば郷に従え。」と自分に言い聞かせながら頑張っていたものの心の中では不満と苛立ちがプチ爆発を繰り返し10日目には頂点に達した。
- 帰国して何日も過ぎた今、ドバイで書いた文章を読み返すとどうでもない事に不安を覚えたりしていた事も多い。それを察して僕を支えてくれた友人達には感謝の想いでいっぱいだ。いつも僕の気持ちを代弁してくれたスエーデンのIan
Newbery。冗談ばかりいってリラックスさせてくれた韓国のYong Soo, Park。隣国の彼には気を抜くと思わず日本語で話しかけてしまう事が何度もあった。よくツアーや買い物、飲みに誘ってくれたオランダのTon
Kalle。今回のムードメーカーでイスラムの文化(下ネタが多い)を毎日僕に教えてくれたイランのTaher Sheykholhokamall。そして日本からの小池光典氏には出発前からとてもお世話になった。初めての海外のシンポジウムでベテランの小池氏がいると言うだけでとても心強い思いだった。
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- すべて「喉元過ぎれば」なんとやらで、またこんなチャンスがあれば今はどこへでも飛んで行きたい気持ちでいっぱいだ。今回得た経験と様々な国の友人達は僕のかけがいの無い財産である。それらは、これからの僕の制作活動に大きな影響を与えてくれそうな予感がしている。
2004年 4月15日 長谷川 政弘
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