Information 長谷川政弘の2013年の活動情報をお知らせしていきます。

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 番画廊閉廊「サ.ヨ.ナ.ラ bangarow」展

会場:番画廊 大阪市北区西天満2-8-1大江ビルジング1F  Tel 06-6362-7057

会期:2013年12月23日(月)〜25日(水) 

番画廊オーナー松原光江さんが10月7日に亡くなられました。松原さんの死去にともない34年間続いた番画廊が12月28日をもって閉廊となりました。

番画廊は1979年に現代美術専門の画廊としてオープンし、関西のアートシーンを常にリードしてきた画廊です。この画廊は私が23歳の時に初個展を開催し関西のアートシーンにデビューした思い出深い画廊でもあります。

これまでこの画廊に関わってきた約300人のアーティストが「さよなら三角、またきて四角」の言葉になぞらえて10センチ角の小作品を展示しました。

松原さん長いあいだお疲れさまでした。そしてありがとうございました。


 上狛小学校の「学び子像」を修理しました

場所:京都府木津川市立上狛小学校 2013年9月19日

木津川市立上狛小学校は創立が明治5年(1873)というとても歴史のある小学校です。近所を散歩中の妻が女子像の右手がない事に気がつき、なんとも痛々しい、と相談されました。この小学校は私の息子たちがお世話になった学校でもあり、市に修理したいという意向を伝えたところ、小学校側から返事があり、欠損した右手首部分を修復しました。

最後に右手をつけて完成させる日には市からの連絡で新聞社がなんと4社も取材に来られました。翌日には新聞をみたという近所の郷土史を研究されている方から連絡があり、この像の事について色々と教えて頂きました。このセメント像となんとも立派すぎる台座との不釣り合いは私も気になっておりましたが、このセメント像が立つ以前は楠木正成の青銅製の騎馬像があったという事を教えていただきました。騎馬像は戦時中の金属の供出によって台座だけが残っていたそうです。それで私が疑問に思っていたもう一つの謎の台座側面の立派すぎる青銅の寄贈者の銘板の謎もとけました。供出の際、寄贈者の銘板だけは残していたのでしょう。

京都新聞 朝刊 9月20日

制作した少女の右手部分


 2013高鍋町まちなか・あかりオブジェ公開制作

会場:宮崎県高鍋町役場東側緑地公園

会期:2013年 8月1日〜7日

宮崎県高鍋町の彫刻家、田中等さんからのお誘いで高鍋町に滞在しあかりオブジェを制作してきました。

参加メンバーは私の他、松村晃泰さん(京都/石)小林照尚さん(岡山/石)伊地知菜美さん(鹿児島/木)杉尾幸さん(宮崎/石)の5名です。

会期は7日間でしたが、私は仕事の都合で後半の4日間だけの参加となりました。私の素材が金属なので溶接はアトリエですませておいて、仕上げと組み立てをこちらで行うという方法をとりました。下記の文にもあるように高鍋ではもう既にいくつかのあかり作品が設置してありますが、金属(ステンレス)のあかりオブジェは私の作品が第1号となります。

会期中は公民館に宿泊し田中さんも含めメンバー全員で三度の食事(自炊も含む)をとり、毎晩お酒を飲んで語らいました。連日猛暑が続きましたが、毎日がとても楽しく充実した日々をすごせました。それと特筆すべき事は、制作する私たちを毎日サポート(食、住など)してくれた高鍋町の商店街の方々のチームワークは見事なものでした。そして完成した私の作品は、高鍋町の商店街の核となる「たかなべ町屋本店」に設置されました。

 

「高鍋町は宮崎県の中央部海岸沿いに位置し、歴史と文教の町と称されています。 私たち高鍋町まちなか商業活性化協議会は、まちづくりの一環として歴史と文教の町にふさわしい高鍋町独自の商店街の景観をアートによって形成し、商店街の再生につなげていこうとする事業を進めています。先年、宮崎県と高鍋町の補助事業により、国際規模のコンクール形式による「あかりモニュメント公開制作 in TAKANABE」を開催し、国内外の作家たちによって制作されたモニュメントは、各商店街のシンボルとなる照明機能を持った石のモニュメントとして高鍋独自のまちなみ景観を創出しています。モニュメント設置と平行して、各商店店舗前にもあかりオブジェを設置しています。」(募集要項より)

 

宮崎日日新聞8月27日

たかなべ町屋本店の右側に設置しました。

「Lotus 」 ステンレス・鉄・ガラス・LEDライト

中央の穴には水が入っており、その下が光源となっています。だんだんと暗くなってくると蓮のシルエットが浮かび上がりガラス製の水滴がきらめきます。


 

 二・五次元 - 絵画考 - 立体小品展

会場:ギャラリーマロニエ 京都市中京区四条上ル塩屋町 Tel 075-221-0117

会期:2013年6月25日(火)〜7月7日(日) 12:00〜20:00(最終日18:00まで 月曜日休廊)

様々な分野の作家のサムホールサイズ(22.7×15.8×α)cmの小作品展

二次元と三次元、平面と立体、架空と現実その間にあるであろう曖昧模糊とした隙間こそ、怒り、喜び、夢を見、創造する私たちホモサピエンスが獲得した領域であり、無限に広がる表現の荒野ではないでしょうか? (ギャラリーマロニエ企画書より)

 


 木津川アート2012の出品作品が当尾 高去地区にコレクションされました

木津川市加茂町当尾高去地区防火水槽上

作品贈呈式 2012年3月21日(木) 

昨年の木津川アート出品作品「いつもあるような」が展示場所の高去地区の住民方々からこのまま残してほしいという強い要望があり展覧会終了後も撤去する事無くこの場所に永久保存されることになり、3月21日に贈呈式が行われました。これは木津川アートが残した痕跡となりモニュメントとなりました。他にも数点の作品がこの当尾地区に残されることになり、これは「アートのまち木津川市」が一歩前進した事を示します。

贈呈式では地域のみなさまをはじめ木津川市長も出席され銘板を設置し作品の引き渡しが行われました。その後木津川アートのボランティアさんたちも招かれ、住民の方々によって心づくしの宴を公民館で開いていただきました。帰りにはたくさんの地元野菜やお花もいただき、アートによって人と人の結びつきができました。

ここ木津川市当尾地区は、岩船寺や浄瑠璃寺といった有名なお寺があり里山の中の石仏巡りの散策ルートもたくさんあります。その中に現代の道しるべとなる作品を設置する事ができたのは私にとっては幸運なことです。風景にとけ込み人が通り過ぎてしまうような、そんな彫刻も素敵だと考えています。

 

「いつもあるような」


今初夏、当尾高去地区を訪れた時、防火水槽を囲む
古びた鉄の枠に魅せらた。
その無骨な鉄枠は相当な長い年月を経た記憶を自らの
鉄肌に刻み込み、私に「何かできるかね?」と語りかけてきた。
私は風景のじゃまをしない作品をつくりたいと思った。
材料は、鉄枠との調和を求め、鉄の古材をかき集めそれを用いた。
防火水槽を抱え込むこの造形は周辺の山の稜線、
木のかたちを意識し、風景との調和をめざした。
果たして故老の鉄は私を受け入れてくれたであろうか?

 じゃまはしない
 ずっと前からあったように・・・・

     
    素材:鉄(丸筋、異形筋 直径9mm~21mm 全て古材) 技法:溶接
 本体寸法:高さ4m 幅4.2m 奥行き5.2m 制作年:2012年

   

京都新聞3月22日朝刊


 大阪府立大学 先端バイオ棟1Fエントランスホールに作品設置 

木津川アートがご縁で知り合いになった林英雄教授の勤務する大阪府立大学にブロンズ作品「Cells」を設置しました。林教授が今期で退職される記念作品としてこの研究棟とも関わりの深い「cell = 細胞」をテーマにした作品を制作しました。作品は林教授の退職記念パーティーの場で除幕されお披露目されました。

今年の卒業式では、エントランスホールに新しく設置されたこの作品のまわりに学生が集まり記念撮影やスナップ撮影に多いに活躍したということでした。

3月2日退職記念パーティーにて作品が披露されました。( 林英雄先生と 奥様の薫さん)

「Cells」  ブロンズ  h 190 cm

 


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