CANADA

サン・ソーバー記+ニューヨーク記

10月8日(水)

 朝、9:23分の奈良行きに乗り今回の旅が始まった。関空からデトロイト、ミネアポリスを乗り継いでモントリオールに着いたのは結局現地時間の夜の11時。最終目的のサン・ソーバーに着いたのは12時になる。家を出発して約28時間である。最初にして日本に帰る事を思うとゾッとする。
 宿泊場所のコンドミニアムはまわりは森に囲まれ、その中にゆったりと建物が立ってる。内部は広々として余裕があり4人で泊まるにも申し分ない空間である。リビング、キッチン、寝室に分かれており一家族が何週間も滞在できるような造りになっている。
 深夜の現地入りになったのだが僕と昼馬君はトランジットの度、レストランでビールを飲んだり軽食を取ったりしていたのだが、何も取らずにいた人が多かったので近くのコンビニへ向かう。ありがたい事にアルコール類もおいてある。早速ここで祝杯をと思ったのだがなんとここでは11時以降の酒類の販売は御法度らしい。お酒を目の前にして呑めない!宿へ帰りベッドの割り当て。御年配の順番にゆったりとした場所を取ってもらう僕は二段べッドの下。一番若い昼馬君には上で寝てもらう。この部屋で彫刻の栄利秋さん、油彩の大西勉さん、鋳金の昼馬陽一君(今年大阪芸大を卒業し現在金沢美大院で学ぶ)ら四人で6日間滞在することになる。
宿泊先のコンドミニアム 毎日このバスが送り迎えをしてくれる。
テーマパークのようなサン・ソーバーの町並み 
会期中天候に恵まれこの抜けるような青空が続く。

10月9日(木)

 時差ボケのせいか全員が集合時間の1時まで眠ってしまいて向いの部屋の女性達に起こされ慌てて迎えのバスに乗り込む始末。
 サンソーバーの町の中心の教会近くに集まりこれからの日程のスケジュールの説明と町の案内を受ける。ここへ招待された日本人は約60名でアーティストの他茶道の方やコーラスの方など色んな人がいるらしい。その方達がどの程度の方なのかは不明である。
 この町は町全体がテーマパークのようで非常に美しくこじんまりとしており全体を歩くのに1時間もかからないくらいの大きさだ。さしずめ日本で言うと軽井沢のような感じの町だ。町の中心にある教会を中心にして広がった木造の美しい建物といいゴミ一つ落ちて無さそうなリゾート空間的雰囲気がしらじらしいくらいの印象を受ける。だがここは日本じゃ無く本当のカナダのリゾート地であるのでまさに本家本元でこれらは作り物ではないのだ。
 案内された会場は思っていたものよりもいい場所ではなかった。まずは天井が低い。美術展を開催する空間とは少しずれている印象を受ける。明日の展示のために、この空間の中でも最善の場所を、と英語の余り分からない(この地域はフランス語圏内である)設営担当のスーザンとやり取りするがまったく埒があかない。かなり掛け合ったがスッキリとしない気分のまま会場を離れる。
 イタリアンレストラン夕食を取る。心配していた宿泊と食事の無料提供の件は本当であり少しホッとした。夕食後もう一度昼馬君と町を散策し、早速お土産を買う。コンドミニアムまでは町から歩いて30分くらいなのでぶらぶらと歩いて帰る。スーパーに立ち寄り夜のためのビール、ワインとスモークサーモン、チーズベーコンなどを買い込む。同室の四人で一日遅れの無事到着の祝杯をあげる。栄さん、大西さんも最初は遠慮していたもののどうしてなかなかの酒豪で夜更けまで呑み続ける。

10月10日(金)

 朝8時に作品展示のために会場へ行く。長い一日の始まりだ。
ある程度覚悟していた他の作品のレベルの事以外に着物生地などを再利用したジャパニーズグッズや日本人形の販売のブースまでもが混在した雑然とした空間になる。僕達にはこういった類いの販売グッズの人達も参加するとは知らされてなくどうしようも無い気分に陥る。前もって知らされていたのならレイアウトももっと工夫できたのにと悔やまれる。何回か作品の移動を行い会場中心部に何とか美術展らしい空間ができあがる。手のひらサイズの88枚の銅製の蓮の葉を直径2.4メートルの円に配置し中心部に一対の蓮の花を配置した作品。持って行った丸亀うちわで風を起こしゆらゆらと葉っぱをなびかせる。
 今回偶然にも蓮をつくった作家が二人いた。テラコッタ彫刻の熊谷さん(女性)と鉄立体の小嶋さんだ。それぞれ表現が違うのでかぶった感じもしない。
ここでの展示はここまでだ。「もうこれ以上はじたばたすまい」とここで展示を見切る。これからはここで楽しむ事!
 2時からこれから4日間のイベントのオープニングセレモニーがあった。すべてフランス語で行われ何を言ってるのかさっぱりわからない。唯一わかったのは日本領事館の方が気を利かして喋ってくれた日本語の挨拶だけだった。開催時間は何故か午後2時から8時まで、最終日の月曜日だけ10時から4時までということだ。
 作品を少しでもおいて帰ろうとと蓮の値段設定に悩む。カナダドルで葉っぱ1枚30ドルとしたがJグッズ販売のおばちゃんに安すぎると指摘を受ける。後、小さい葉っぱで50ドル〜、3枚セットで100ドルという設定にする。1ドル約80円の換算にした。日本では格安だと思うがここは異国の地でのお祭りだ。「売って帰る事に意義がある」とこの値段に決めた。
 値段を指摘したおばちゃんが早速買いにきてくれた。「高くなってるやん。前の値段にしてーな。」さすが大阪のおばさまです。このおばさまには30ドルで販売。しかしこのおばちゃんにはこの後も「売れた作品にはサインを入れた方がいいよ」とか何かといいアドバイスをいただく。そして彼女は僕のファンになってくれた。お茶を立てにきていた婦人が3ピースセットを買ってくれる。上乗の滑り出しである。しかし日本人ばかり!
 「みんなあなたの作品は素晴らしい。と言っている」と展示の事でぶつかっていたスーザンが何度も僕のところに言いにくる。この展覧会の事を事前に紹介をした地元の新聞に僕の以前の作品写真がカラーで一番大きい扱いで掲載されていた。そして今日も地元の新聞記者が写真を取りまくっている。
 夕方強烈な眠気に襲われる。夕食はアメリカンレストランでローストチキンのコンボ生ビールを何杯か飲むうちに元気になってくる。今日もコンドミニアムに帰ってからも向いの部屋の熊谷さんもまじって朝方まで飲み明かす。

彫刻家の栄利秋氏と

10月11日(土)

 会場は2時から始まる。ここカナダではこの土、日、月は三連休であるらしい。土曜という事もあって大勢の人が訪れ町や会場は物凄いにぎわいだ。
 僕達の滞在しているこの一週間が紅葉の最高のシーズンらしい。毎日抜けるような青空で日増しにカナダのかえでは赤く染まってくる。本当にいい時期に招待してくれたものだ。
 今日はカナダの御夫婦が3ピースセットを買ってくれる。うちわは売り物では無いのだがどうしても欲しいという事なのでサインを入れ20ドルで譲る。お客さんとのコミュニケーションのためのままならない英語のやりとりとたまった疲れでへとへとになる。
 夕食のレストランに9時頃入ったのだが客が多く混雑していたのと60人みんなが好き勝手なものを頼むせいで店は大パニックに。食べ終わったのは12時をまわる。酒を買う時間も無く宿に帰り一本のこっていた缶ビールを四人でひとくちづつ飲む。

10月12日(日)

 朝早く目が開いてしまいそれから眠れない。外が白々としだした頃、上で寝ている昼馬君に声をかける。彼もそうだったらしい。ずっと何度も寝返りをうっていた。せっかくだから散歩でもするか?と7時頃二人で外に出る。
 外はすごい霧がかかりとても幻想的だ。今日もまた一段と木々の葉が紅く色づき毎日紅葉が進むのを視覚的に実感できる。そういえば去年の今頃は制作意欲がまったく湧かず紅葉の季節に奈良の古寺を廻っていたものだ。その時はまさか来年の秋にカナダの紅葉を見る事になるとは想像もつかなかった。
 前日に他のメンバーが知り合ったサンソーバーに住んで30年になるという中村さんファミリーと朝9時に町のお店で一緒に朝食を取る。中村さんは柔道家で30年前にお兄さんとカナダに渡ってきてオリンピック選手の指導にあたるなどをされ現在モントリオールのカレッジで体育を教え、他の時間にはお寿司をつくってスーパーやホテルにおろす等の仕事をされている。カナダ人の奥さんと美人の三姉妹の良きパパである。
 ここで中村さんに日本の箱根の彫刻の森に所蔵品があるという女性彫刻家のゾーヤ・ニーダーマンさんを紹介される。食事の後、サンソーバー郊外の中村さん宅へ招かれる。このお宅もカナダのそれにもれず森の樹木に囲まれた素晴らしい環境の中に家が建っている。動物好きの奥さんの影響なのかたくさんの動物達と一緒に家庭菜園で土もいじりながらゆったりと暮らしておられる。中村さんは御謙遜か「収入はイマイチだが生活は豊かですよ。」と笑いながら言っておられた。
 この後、ゾーヤのスタジオにも案内された。素晴らしい環境のスタジオである。土地の広さは日本とカナダの決定的な違いをまざまざと見せつける。素晴らしい住居兼スタジオで室内外ともは彼女の作品がうまく配置され、手作りの什器などもたくさんあり、最高のインテリア雑誌に掲載されても非のつけようの無い空間を演出している。彼女の御主人のジョージは彼女のマネージャーでホスト役をしてくれる。冗談好きの陽気なジョージは僕達の事を色々と気づかってくれる。長身で美人のゾーヤは只今47才。彼女の彫刻作品の大半はブロンズの抽象作品だ。鋳造はすべてイタリアで行っているらしい。しかし彼女はタブロー、コラージュ、版画、何でもこなす。普段は穏やかで笑顔を絶やさない彼女だが、いざ作品の話題となると目の色が変わる。作品の話となればついむきになってしまう僕と同じ匂いを感じた。僕のチープな英語にも必死に耳を傾け僕との彫刻談義を身ぶり手ぶりで真剣に行う。やはり同じ目的の人間は言葉を越えてコミュニケーションが取れる。しかし僕とすれば自分の単語力の無さに歯がゆい思いでいっぱいだ。
 明日ここでディナーを一緒に持とうと誘いを受ける。願ってもないことだ。
午後から会場へ。今日も大勢のお客さんでにぎわう。作品は好評である。カナダ人に3ピースセットの作品が一点売れる。しかしジャパニーズグッズ販売の人達の話ではカナダ人の財布のひもは堅いらしい。宿ではファインアートのメンバーで集まり飲む。

中村さんの娘さん達と愛犬
この他もう一匹の犬、ニワトリ、リス、金魚、インコなど色んな動物と暮らしている

紅葉真っ盛りのゾーヤさんのスタジオ外観
ゾーヤさんのスタジオ内

10月13日(月)

 展覧会最終日は10時から始まる。この展覧会の仕掛人のアニーに明日の早朝、ニューヨークに立つ事を告げる。僕と同行の昼馬君はみんなよりひと足早くサンソーバーを引き上げる。他のメンバーは18日まで観光やそれぞれの分野の工房やオフィースの見学やモントリオールなどへ向かう。最終日にはかなり大掛かりなお別れパーティーも企画されているようだ。その間の滞在費や食費も提供してくれるという気前のよさ。
 彼女は突然僕を会場入り口まで引っぱって行く。これを見たかと指差す方向の建物の壁に英語のフレーズがある。よく見ると「MASAHIRO HASEGAWA ARTIST METAL SCULPTURE WORKS JAPAN 」と書いてある。なんで僕の名前だけこんなにところに書いてあるんだろうとよくみるとその上に「I NEVER GET TIRED OF LOOKING INTO MELTING POT WHERE I SEE BEAUTY AND MYSTERY」とある。「MELTING POT」とは鋳物で使う坩堝のことだ。ここで初めてピンときた。なるほどこれは僕が書いた文章だ。「金属の融けた坩堝の中の神秘的な美しさは何度見ても見飽きる事はない。」という意味である。以前提出した文章の一部を彼女が抜粋しこの展覧会のキャッチフレーズにしてくれていたのだ。僕は間抜けにもこの事に気付かずに最終日までいた訳である。ここでまた自分の英語力のなさを無念に感じた。「また来年!」とアニーさんと堅い握手をかわす。
 今日はカナダ人に作品が2ピース、同じ出品者に3ピースセットが2セット、1ピース売れ。売り上げもまずまずの金額となった。このような作品は少々値段が上がっても1ピースよりも3ピースセットの方が売れる事を実感する。売れた作品にすべてサインを入れ4時すぎに作品を撤収する。
 宿に戻ると中村さんが迎えにきてくれた。ゾーヤ夫妻と中村ファミリー、僕達は五人で計11人のパーティーになる。中村さんがお寿司をもってきてくれゾーヤさんの御主人のつくったビーフシチューなど心づくしのもてなしを受ける。しかしせっかくのもてなしにも関わらず僕はなかなかテンションが上がらない。展覧会が終わり疲れもピークに達し体もぐったりとしてしまった。
 もう一度スタジオを見せて欲しいと一階へ降り彼女の仕事をじっくりと観察する。彼女の仕事もさる事ながらイタリアのブロンズの仕事のよさに感激する。もちろん彼女はイタリアでも最高のブロンズ工房に発注しているのだと思うが作家と職人の息使いがブロンズの表面からストレートに伝わってくる。仕事のキレは鋭いのだがとても作品があたたかいのだ。スパッとした直線や面にさえにもあたたかみを感じる。これは何処からくるものだろうと少しの間、作品の表面を撫で回した。もしかするとイタリアという国のブロンズ素材に対するとてつも無く長い時間と親しみの現れなのかも知れない。素材を熟知の故の産物なのか?なぜ彼女がわざわざイタリアまで行ってブロンズにするのかわかる気がした。
 彼女はカナダでは無名だという。主な市場はアメリカ、ヨーロッパらしい。カナダはあくまでも生活の場らしい。ジョージにこの先に空家があるから越してこいと冗談ともつかない言葉を掛けられる。確かにここは日本考えられない豪邸でも1500万円〜2000万円くらいで手に入るという。
 ゲストルームにおいてあるたくさんの彫刻の画集を見せて僕に誰が好きかと聞く。僕はジャコメッティー、マリーニ、アルプ・・・と答える。どの作家も一昔前のヨーロッパの作家ばかりだ。ゾーヤも加わり今一度熱い彫刻談義に花が咲く。偶然にも出会えて本当によかったと感じつつカナダへ来るこれまでの経過に感謝する。彼女から版画をプレゼントされる。僕の方からは中村ファミリーとゾーヤ夫妻に蓮の葉っぱ一枚づつをプレゼントする。最後に彼女の手作りのパイを頂き中村ファミリーとゾーヤ夫妻お別れをする。
宿に帰り明日の出発のための荷物をまとめる。明日の朝の4時にタクシーが迎えに来る。
 深夜となりの部屋の熊谷さんが尋ねてきた。またもや芸術談義に花が咲く。彼女もまた出会えてよかった人のひとりである。僕は彼女の作品が好きである。となりで寝ていた大西さんも起こしてしまい話に加わり喋っているうちにタクシーが迎えにきた。結局寝なかった。今日もとても長い一日となった。よく体が続くものだと自分に感心する。

10月14日(火)

 朝4時に昼間くんとともにタクシーに乗り込みモントリオールの空港へ。ニューヨークへひとっ飛びと行きたい所だが何せノースウエスト航空だけのチケットで日本とこちらの往復だけの料金だったせいかニューヨークへ行く三倍ほどの距離のミネアポリスヘ行きそこからニューヨークに入るというと考えられないほどの非効率的なフライトとなる。ニューヨークへ飛ぶ約六倍の距離だということになる。事前にフライトスケジュールをみてもこの事が気付かないくらい忙しかった事と無知と貧乏がなせる技だったと今地図を見て思った。(航空運賃は確かに安かった。)これは関空からソウルに行くのに香港経由で行くという感覚に近いと思う。そのためモントリオールの空港内でアメリカの入国審査を済ませ朝の8時すぎにここを発ったのだがニューアーク空港に着いたのは午後5時になっていた。
 今日の宿泊先のニュージャージーのハミルトンという町までNJトランジェットという電車に乗って行く。この路線の駅はつぎの駅の名前の表示が無いので電車内のアナウンスだけが頼りだ。同行の昼馬君と四苦八苦しながら何とかハミルトンにたどり着く。
 ここへ来た第一の目的は大阪芸大の卒業生の福永宙君に会う事だ。彼の名は宙と書いてオキと読む。彼は大学卒業後、アメリカに渡り語学学校などを経て現在ハミルトンにある大きな美術鋳造のファクトリーであるジョンソンアトリエに勤務している。システムの詳しい事はあまりよくわからないが半分は学生の身であるらしい。月曜から木曜までここで勤務し後はこのアトリエで自分の作品を制作している。よくお互いの近況をメールでやり取りしている関係だ。彼が駅まで迎えにきてくれ早々に彼の勤めるアトリエに案内される。道中、暗かったのではっきりとは質まではわからないがそこら辺に巨大彫刻がごろごろと設置されている。さすがアメリカだ。
 アトリエは想像以上に大きく、只ただ驚くばかり。鋳造技術は基本的にはガス型とシェルモールド法が主だ。彼の説明は同じ仕事をしているもの同士、すべて理解できた。さすがにアメリカ、溶解炉、工作機械、何をとっても大きいものばかり。あらゆるものに興味を引かれるのだが僕の疲れも頂点に達する。遅い夕食を取りに、いかにもアメリカ的な郊外の大きなレストラン兼パブのようなところへ案内される。ピチピチのタンクトップとショートパンツをはいた20前後のお姉ちゃんがウエイトレスだ。昼馬君と鼻の下を伸ばしながらきょろきょろとするが何かあまりにも健康的?な雰囲気に圧倒され視線ははじき返されてしまう。フライドチキン、海老のフライ、クラムチャウダー、生ビールピッチャーで二杯(ちなみにオキ君は飲まない)、大いに飲み食いをする。味はカナダよりはおいしい。宿泊先のモーテルへ行き、シャワーも浴びず倒れるように眠ってしまう。

ベルト幅60cm位ありそうなベルトサンダー
エンパイヤーステイトビルからの眺め
ランチをとったビュッフェあらゆる国の料理があった
グランドゼロの敷地内にこんな一角があった

10月15日(水)

 オキ君は木曜日まで仕事なので今日は昼馬君と二人でニューヨーク見物にでる。再びNJトランジェットに乗りニューアーク空港をパスしマンハッタンのペンステーションまで所要時間約1時間ちょい。外に出たのはいいがここが何処なのかまったくわからない。メトロポリタン美術館に行こうと思うのだが・・・。軽いブランチを取りながら地図を何度も見てるうちにやっとコツがつかめた。ストリートとアベニューの関係がわかった。通りにはすべて名前がついている。南北がアベニュー、東西がストリート。これで何処へでも行けそうな気になる。歩いているとエンパイヤーステイトビルに遭遇。摩天楼の頂上からマンハッタンの地形を把握する事にする。今日は雨は降らないものの天候がかなり荒れている。地上68階?の屋上はとんでもない風が吹く。自由の女神も小さくみえる。セントラルパークはすぐそこのように見えるがやはり距離はあるのだろう。たった1日では欲張れないことに気がつき今回はニューヨークの空気を味わうだけにし美術館へは行かない事にする。どうしても見てみたいものがあるわけでも無く、実際、作品を見る気力も今の僕は持ち合わせていない。
 ビルを降りとりあえずマンハッタンの最南端まで地下鉄で移動する。なにやら怪しそうな黒人がうろついているのでそこから北に向いて歩き出す。こジャレたビュッフェがありそこでランチを取る。いかにもニューヨーク的でメニューも豊富。これまでの単調な食事の欲求を埋め合わすかのように何種類もの料理を少しづつ皿に持って行く。さすがに大都会である。すべておいしい。ビールを飲みながら舌鼓を打っているともう何処にも行きたくなくなってきた。重い腰を上げて再び北へ向かって歩く。グランドゼロがみえてきた。悲惨な出来事があったところなので来るつもりではなかったのだが、いざ来てみるとやっぱりあのテロ事件はとんでもない出来事だったのだ実感する。アメリカのショックは僕の考えていた何百倍のものだった事だろう。この場所に建っていたこれだけの大きさの巨大ビルや何の関係もない人々をテロによって一瞬にして残骸に変えられてしまったのだから。
 画廊街のチェルシー地区は是非行ってみたかったのだがこれもタイムオーバーでニューヨーク見物はこの後ソーホーをうろついたにどどまった。もうこれ以上歩けないという事もあった。しかしよく歩いた。この都市は駆け足では何処も廻れない。ついでじゃ無く次回はニューヨークを目的にしなければならないと自分に言い聞かせる。ハミルトンへまた電車でもどりオキ君と近くの町のプリンストンに食事に行く。今日は昨日とはうって変わってとても落ち着いたシックなレストランに案内される。自家製ビールも置いてありライブ演奏もある素敵なレストランだ。アメリカ最後の夜はやっぱりニューヨークステーキでしょう。とサラダとステーキを注文する。ビールも色んなものを注文し飲み比べる。ステーキは申し分なく質、量とも最高。豊かな気分に浸る。やはりここは後輩でもあり可愛い教え子?でもある彼らに僕がおごる事にする。しかしこちらはチップがやたら面倒臭い。
 食事の後、店のまん前にあるプリンストン大学の構内を見学する。さすがアメリカ屈指の名門大学だけあってすべてが歴史を感じさせる建造物である。広大な構内には彫刻が何点も設置してある。僕はあまり好みでは無いがリチャードセラの作品が意外な事に一番印象に残った。やはりここはアメリカである。表現、大きさ共にアメリカという土地に合っている気がした。オキ君の話によればこの作品は、つい最近設置されたそうだ。今日もへとへとになり今日こそは必死の思いでシャワーを浴びまたもや倒れるように眠りについた。

10月16日(木)〜17日(金)

 ついに日本への帰国の日になった。朝8時にオキ君が迎えに来る。学生の昼馬君はあと4日くらい滞在するため一緒に出発しマンハッタンでユースに泊まることになった。僕の方はホッとした気持ちとなごり惜しい気持ちとが半々である。ここはいわば社会人の辛いところ。時間は有限である。ハミルトン駅で12月に帰国するオキ君と再開を約束し別れる。
 ニューアーク空港でどえらい事に気がつく。クレジットカードが無い!いくら何処を探しても無い!考えられる事は昨日ペンステーション駅近くのATMでカードを取り忘れたか何処かで落としたかである。最後の最後にとんでもないカードが隠されていた。急いで自宅に電話を入れる。日本では夜の11時ころである。ショッピングの方はストップできたがキャッシングの方は明日の朝、銀行が開くまでは処理できないらしい。考えれば考える程、思いは悪い方向にしか向かわない。もうここは「後は天に任せるしかない。」と開き直り空港にチェックインする。午後12:10分発、ここからデトロイトまで約2時間半、再びデトロイトから関空まで14時間のフライト。関空到着は翌日の午後6:50分着。即刻自宅に電話を入れる。
 「よかったー。」カードは無事であった。やはりATMでカードを取り忘れていたらしくあちらからカードは使用停止にしていると日本の銀行に連絡があったとの事。
 終わりよければすべてよし!ホッと胸をなで下ろす。
NJトランジェット ペンステーション
ゾーヤさん宅 中央が中村さん
仕掛人のアニーデュポンさんと
今回のサン・ソーバーの展覧会の参加は大阪のあるギャラリーで「ギャラリーいろはに」の北野さんに偶然で出会ったことからはじまった。そして偶然が偶然を呼んで参加する運びとなった。渡航費用だけで後は主催者持ちという格好な条件を聞き気持ちはなびいていたのだが、何の貯えもなく作家をしながら二人の子供達を養っている境遇ゆえ参加をためらっていた。「お金の事は後からどうにでもなる」といってくれた妻の一言で参加に踏み切った。実際に渡航費用も周りの人達の協力で工面できたしカナダでも多少は作品も売れ滞在費用(酒代?)にもなった。
「偶然を偶然で終わらせず、必然だった。」とすべくカナダでもがんばったつもりだ。
幸運にもたくさんの人達との出合いがあり特に偶然、展覧会に来られた中村さんの紹介で彫刻家のゾーヤさんのアトリエにもお邪魔する事ができとても有意義な旅となった。今回もつくづく私の運命は偶然によって成り立っていると感じている。  
まわりの皆様方、本当にありがとうございました。感謝しています

2003.10.23 長谷川 政弘

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