「もの」つくり話 11〜20 ものづくりのつぶやきです。少しずつ追加していきます。

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「もの」つくり話

20  二つの紅葉

 40才代にさしかかったこの頃、やっと秋を感じることができるようになった気がします。自分から出向いて紅葉などを見に行きたいと思ったことは正直いってこれまで一度もありませんでした。なぜか今年は紅葉を見に行こうと思い立ちました。
 
 ここは奈良の室生寺です。このお寺には例の平成10年の台風7号によってかなりな損傷を受けたあの有名な五重の塔を始め、建物、納められた仏像ともに多数の国宝をかかえるお寺です。今ではすっかり修復も完了し美しく再塗装された五重の塔の姿も見る事ができましたが、いまだに巨木の倒れた後も所々に残っており台風の生々しい傷跡も見受けられました。
 太鼓橋をわたり表門をくぐると鮮やかな紅葉が出迎えてくれました。赤、黄色、緑、そしてその隙間からのぞく秋晴れの鮮やかな青、夏の景色よりも激しく感じました。
 急な鎧坂を登ると釈迦如来立像を納めた金堂がありその上に本堂が建っています。本堂の軒下から見た紅葉は、薄いピンクと黄色が重なり合い見ているととても穏やかな気持ちになってきます。
 今日、はじめて紅葉には二種類あることに気付きました。コントラストの効いた鮮やかな紅葉とそれと淡い色の重なり合った落ち着きのある穏やかな紅葉があるようです。
 それと今回のもうひとつの発見は紅葉が重なり合ってつくり出す光の色を感じたことです。秋晴れの透明な光が、色づいた葉っぱのベールを通り抜けることでいろんな色に染まって見えるのです。黄色く色づいたベールを通せば黄金色に輝く光の空間がそこに現れ、赤く色づいたベールを通せばピンク色の光りの空間が出現します。その空間の中に身を置くとそれはまるで印象派の絵画の中に飛び込んだような錯覚すら覚えます。
 
 この二枚の写真を私より少しだけ年配の知人に見せたところ、下の方のを写真を取り上げて「このやさしい色合いがいい。」迷わずにそう言いました。私はコントラストの効いた上の方の鮮やかな写真にすごくインパクトを感じていたのでその感想はまったく意外でした。

 紅葉の楽しみ方も人それぞれですが「まだまだ私は若輩ものです。」

        

2002・11・24(撮影2002・11・17)

19 長谷寺門前通りの裏物件

 「ナヌ?」「ん・・・これはいったい何ナンダ???」
この物件を見た時の第一印象です。またもや変なもん見つけてしまった。
 この秋からずっと続いている無気力感でまったく制作にも打ち込めず最近は時間ができると奈良周辺を散策しています。この写真は奈良県桜井市の長谷寺に行った時のものです。
 晩秋の長谷寺はすがすがしい空気でした。仁王門をくぐり抜け有名な百八間、三九九段の回廊形式の登廊を登り本堂の外舞台から眺める境内は絶景の一言に尽きます。秋の澄みきった空気と景色を十分に堪能した後、おみやげ屋さんの続く参道を歩きました。なんとなく横道にそれ初瀬川にかかる橋に立ったときです。
「ナヌ?」「これはいったい何ナンダ???」となった訳です。
一番上の写真は橋から眺めたところです。母屋より奇妙にとび出したあの小屋のようなものは何なんでしょうか。そしてなにより私の目を引き付けたのはそれを支えている三本の支柱です。建築の構造というよりは造形に近いものを感じました。こういう奇妙なものに目が無い私はぞくぞくとしたものを全身に感じつつシャッターを押し続けたのでした。

 まずは本体から観て行きますと、正倉院を思わせる高床式の構造で丸太を多用した床と廃材利用と思われる木材のビニール窓付きの壁、屋根はブルーの塩ビ製の波板とで構成されています。ここから判断する限り窓は最初からガラスが入っていた痕跡が無く新築当初から透明ビニールが貼られていたように考えられます。それを支える柱は三種三様の個性的なモルタル造形が施され芯には丸太が通っていると思われます。この物件にやたら緊張感を感じるのは小屋本体と支柱との接点が極端に狭い事と床の丸太と丸太の間に15センチほどの隙間があって本体が浮いているように見えるからでしょう。
 川縁ではこういった張り出した縁側みたいなものをときおり見かけますが、ここのそれはなかなかいい感じです。屋根には自然に植物が生息し、最近の建築で時々使われる屋根に芝生などの植物を植えて保温効果を狙った手法が天然に行われていました。
 表通りに廻ってみました。ずらりと並ぶおみやげ屋の中、ここだけがデッドスペースとなっていて、「新田」と書いてある手作りの表札がかかっているのですがもう何年も前から人の住んでいる気配がありません。しかしここでも玄関右のモルタルの塗込み方から見て明らかにあのモルタル造形の作者であることがうかがえます。きっとここには素人ながらものづくりの好きな人が住んでいたのに違いありません。

 紅葉の真只中、写真愛好家がこの美しさを逃すまいと競い合ってしきりにファインダーを向ける中、まったく正反対の方向に向かってシャッターを切る私はさぞかしおかしなおじさんと思われたことでしょう。何人かの通りがかりの人達が私の向けるファインダーの先には何があるんだろうとその方向に目をやるのですが私のときめいている被写体がいったい何だかわからずすごすごと通り過ぎて行きます。
 おみやげやさんがズラリと並び華やかな門前通りとは違い対称的な裏側。表通りを華やかなプラス的風景だとしたら、こちら側はマイナス的な風景なのかも知れません。普段あまり人が目をやる場所ではない所からこんなにユニークで裏技的な物件が生まれています。

 それにしてもこの小屋のようなものはいったい何が目的でつくられたものなんでしょうか。京都加茂川の床とは随分と雰囲気はちがうけれどここで真夏に戸を全開にしてよく冷えたビールなんか飲めたらホントに涼しくて気持ちいいンだろうな。

2002・11・18(撮影2002・11・17)


18 天使の輪

 夏の間、アトリエでは装飾造形の仕事をしていました。仕事を終えそのまま8月の末に香川、島根方面に旅行に行き、帰ってきて9月に入ってからも8月のハードな仕事の余韻で何もする気が起らずボーとしていました。すごく散らかった真夏のままのアトリエになかなか足が向かわず、そうこうしている間にエントリーしようと思っていたコンクールの締めきりが迫ってきて結局コンクールには出せずじまいで終わってしまいました。暑さはみんな平等に与えられているものだからこの不甲斐ない結果を暑さのせいにするわけにもいかず、ただただ自分に返すしかありませんでした。
 さて、10月に入ってやっと重い腰を上げ、ずーっとちらかったままのアトリエをかたづけに行きました。一日ではやりきれずに結局次の日の午前中までかかってしまいました。私は一つの仕事をしているあいだほとんどといっていいほど掃除をしません。本当に歩けなくなったら軽くかたづける程度です。しかし、いったん掃除を始めると中途半端にすることができなくなるタチで徹底的に掃除しなければ気がすみません。という訳で、毎日仕事が終わっても掃除をする気になれず(しんどくてする気もないのだが)そのままにして帰ります。たまたま、完璧にかたづけられたアトリエを見た人は、「長谷川さんって本当に几帳面な人ですね。」と口をそろえて言います。そのての言葉は、昔の私からは到底想像のつかない言葉であり「几帳面」とか「きっちりしている」とかの言葉をかけられることが増えてきた自分にエーッという違和感を感じている今日この頃です。人が私を見る印象はたとえそれが一面的な部分であっても変わってくるものだと感じている次第です。

 前置きがやや長くなってしまいましたが、掃除の終わった二日目の午前中、ふと横に目をやるとこんな不思議な光が目に入りました。あまりにも完璧な輪だったので一瞬鳥肌が立つほどでした。一体それが何なのかがわからず近づいてみると、どうも光の反射であることがわかりました。天井に穴が空いているわけでもないし一体何の反射なんだろうとイスを揺さぶるとその時光の輪が二つに増えたのです。右の強い光は窓よりの直射日光です。どうも原因はイスの背もたれのメッキされたパイプのようでした。机の前の南向きの窓から入ってくる日射しがパイプに反射し、私の頭の理解を越えた屈折によってつくりだされた光の輪なのです。
 完璧な程のこの光の輪は宗教的な匂いさえ漂わせます。仏様の後光、天使の輪、円とはとてつもなく完璧な形です。下の方の写真の二つの円が重なり合いデザイン性を帯びた二重円よりも上のシンプルな一つの円の方が何故か妙な説得力があります。突然現れた天使の輪は、この夏に疲れた私の心をそっと癒してくれたのでした
 秋も深まりだんだんと高度の低くなってきた日射しによってもたらされた「天使の輪」は、これから冬にかけても御主人様不在の多いこのアトリエにひそかに出現しているのでしょうか。

2002・10・30(撮影2002・10・10)

17 続・林檎の結末

 今日、そろそろ林檎を自然に帰そうと例の土になった林檎を鉢植えの中に入れている時にです、すごい発見をしてしまいました。
 写真のこれです!
素晴らしいものができ上がっていました。まさしく林檎の芯そのものです。普段は取り去られたり、食べかすとして少し実の部分が残ったままなのではっきりとかたちとしてこう純粋にはお目にかかれない部分です。下の写真でちょろっとくっついているものは、外に出ている芯の部分です。手前の中心になっている所はかなり縮んでしまっていますが林檎のおしり、すなわち花だった部分だと思われます。この五つに分かれたヒダの中にはしっかりと種も残っていました。
 個展の時ある方にこう言われました。「林檎の肩のふくらみは決まって五ケ所あるんですよね。知ってましたか?」「はあ、そうでしたか」とあやふやに答えたのですがよく知りませんでした。実際に作っている時にはけっこう観察したのですが、そのふくらみはかなり曖昧だったのでその言葉は半信半疑だったのです。しかしこれでやっと理解できました。きっとこの五つに分かれたヒダにそってアウトラインができているんでしょう。

 それにしてもこんな芯の部分だけをこんなかたちで見たことがある人いますか?
 あのウジ虫クンは、林檎の楽園の中で食っちゃ寝、食っちゃ寝しているただのなまけものではなく、まさに職人的リサイクル芸術家でした。この作品を作るために日夜林檎を食べ続け実の部分と芯を分離させ、必要ない部分は土に変え、林檎の本質だけを取り出した作品を完成させたのです。まさしく「ハエの恩返し」です。林檎ひとつ平らげた分をきっちりと、感謝の意を込めて、いかにもわたし好みの自然のオブジェに変えてプレゼントしてくれました。この作品は今風に言うと林檎とハエとのコラボレーション作品ですね。もっともわたしは林檎を用意して観察し、記録しているのだからさしずめプロデューサーかも知れません。
 しかし、またしても自然の妙には驚くばかりです。「実は食べても種は残す。」まさしくこれは自然界を成立させるための第一条件です。どんな生物でも絶滅するまで子孫を絶やしてはなりません。みんなそれなりに自然の中で役割りをはたしています。そんなことはハエの子供のウジ虫クンでもわかっていることです。そういうことさえ忘れて自分達の都合をつい優先してしまいがちなのは私達人間です。たぶんウジ虫クンにとっては林檎が種を守る手段として、種の回りのヒダの部分を硬くしている為に食べ進めることができなかったからだけの事かも知れません。
 が、しかし最近の私達の文明は今まで不可能だった事を次々に克服してかなりの無理を通してきています。その分、そういう根本的な自然への配慮は大変重要な課題です。

 妙なかたちのブロンズの林檎を作って個展をし、個展のきっかけとなった林檎を腐らせて虫をわかせ、林檎の芯の部分だけを最後に抽出し、色々と考えを巡らして、成り行きのまま半年以上続いた『林檎プロジェクト』(たった今、命名しました!)は見事に自然界の道理の核芯を捉え、これにて完結致しました。  パチパチパチ!!

2002・9・24(撮影2002・9・24)


        

           16 林檎の結末

 3月から部屋に放置された林檎も本当の6ヶ月を迎えました。
(12 懺悔を参照ここをクリック
で、その後どうなったかというと、結論的には土になってしまいました。
急激に林檎がしぼんでいった原因はハエによるものだったようです。今の状態はへらへらになった林檎の皮らしきものと虫の糞だけです。
 2ヶ月程前に内部を観察すると白い小さな幼虫が一匹見つかりました。その幼虫はこの腐った林檎を住処と食料にして糞をし、林檎を土に変えてしまったようです。今はもう虫はいません。
 目の前で小さな自然のリサイクルが行われていました。腐った林檎にハエが卵を産みつけ、それを幼虫(これってやっぱりウジ虫ってことやろか?)が食べ続け糞をする。そして、それは土に帰る。
 私が確認したがぎりでは一匹だったように思います。もっともウジ虫がうじゃうじゃ湧いていたら部屋に置くのも勇気がいることなんですが、この林檎はどうなって行くんだろうと見守り続けました。しかし、あんなに小さな幼虫がよくも林檎1個を食いらげたもんだと感心しています。
私達人間のスケールで言うと、童話ででてくるようなお菓子のお家を一人で2ヶ月間で食べ尽くしたっていうことになります。なんとまあこのウジ虫はラッキーだったことでしょう。それこそここは楽園だったに違いありません。
 この林檎も本来は人間に食べられず終いで腐ってしまい、生ゴミとなって燃やされてしまう運命だったはずが私の部屋で一匹の生命(ただのハエ!)を育むという変わった生涯を終えたのです。この後は、鉢植えの肥やしになって自然と一体になる。ああ、なんとも素晴らしすぎる。
 ちなみに作品のモチーフとして使ったアトリエの林檎は虫もつがず、しわくちゃの乾燥林檎となっています。

 最近、必要以上に私にまとわりついてくる小さなハエがいます。こいつは、ひょっとするとこの林檎で育ったハエなのか?と思ったりしています。

「ハエの恩返し?」

「ハエよ、このワタシに何か返してくれ!」って言ってやりたいですね。
         

2002・9・14(撮影2002・9)

15 換気扇の偶然?

 この写真は以前に何気なく撮った写真です。古い工場のトタンの壁に当然のごとく張り付いている換気扇のツーショットです。トタンの錆具合とレトロな換気扇の関係がなかなかいい味がでています。何の意味があるのか片方は6枚羽根、もう片方は3枚羽根です。そよ風にのって力なく回っていました。
 なんか絵になっています。平面作品として納まっています。いま流行りの廃虚の写真のような雰囲気がでています。

 ついこないだこの写真をみてふっと気がつきました。前回の個展で発表した作品のThree Apples?とSeven Apples?です。3枚羽根の方はThree Apples?で6枚羽根の方はSeven Apples?と構成が同じになっていました。(Csating Applesを見て下さい。ここをクリック
 やっぱり同じ人間の視点は、ものは変わってもよく似たものが気にかかるもんですね。クローバーの葉っぱが好きだったり、ハチの巣が不思議に見えたり、ぎっしりと詰まった泡のかたちに気をとられたりして。この換気扇も案外自然の摂理にのっとって設計されたのかもしれません。
 この写真でひとつ不思議なのはなぜ羽根が3枚と6枚なんでしょうか?同じもの2組ではダメだったんですかね。
 そこを工場の人に尋ねたい!
在庫がなかったのか、それとも特殊な意味があるからなのか、ただ、どうでもよかったのか、この方がおもしろいからなのか。
 
 でもこれじゃなかったら写真をとるまでには至らなかったと思います。この写真をとったのは今年の2月です。作品をつくったのは4月なので、やっぱり気にかかったかたちが作品に現れたかと思ったけど、ずいぶん前のアイデアスケッチに同じような絵がありました。作家は表現する対象が変わってもよく似たかたちの中をぐるぐると廻っています。作品をつくるたびに作品のかたちは偶然じゃなく必然的になってくることが多くなりました。これは少しは自分にとって安心できる部分でもありますが、少し寂しい気もします。

2002・9・2(撮影2002・2)

14 夏

 夏は大嫌いです。
いつから嫌いになんたんでしょうか。
小学生の頃は好きでした。中学生の時も好きでした。高校生の時も好きでした。大学生の頃も好きでした。大学院の頃はどうだったのかな?

 どこからを境目にして嫌いになっていったんででしょうね。
ものづくりをはじめだして嫌いになっていったのかも知れません。
大人になって夏休みがなくなって、ただ暑いだけのものになってしまったからなのかも。
得にここ10年の夏は尋常な暑さをとっくに越えてしまっているからかな。
 しかし、ものづくりにとって最近の夏は本当に脅威です。わたしは本当に汗かきです。眼鏡をかけています。タオルではちまきをしても眼鏡の内っ側に汗がぼたぼたと。
削ったブロンズの粉はすぐに汗と反応して緑青をふき全身緑色に。そして非常にかゆい。
「あー夏の制作はいやだ。」「早く秋になれ!冬になれ!」


 少しだけ夏のフォロー。
夏は嫌いだけど夏の夕暮れのにおいは好きだ。夕暮れから夜へ移り変わる景色は大好きだ。
夏に飲むビールは格別においしい。真夏のエアコンの部屋は気持ちいい。

2002・7・15 (撮影2001・8)  

(アトリエの窓より)

Six apples?(個展より)

13 個展後記

 今回の個展での私と林檎との関係はきわめてドライです。聖書の中の林檎ではなく、存在の象徴としての林檎でもない、果実のひとつとしての林檎です。甘酸っぱく美味しくて、可愛いいキャラクターとしての林檎を使いました。
 今までの一連の仕事をより多くの人に見てもらうため、難解と思われがちな美術の間口を少し広げるため、林檎という衣を借りてみました。

 今回は今までとは少し違ったメッセージが込められています。生命体としての基本的な構造は借りているものの、間違った使われ方をしている林檎の構造です。
 この林檎は、林檎の木からは生まれてはいません。細胞分裂によってダイレクトに生まれた林檎です。木にぶら下がって林檎の内部で小さな細胞分裂を繰り返し徐々に成長し熟していく林檎ではなく、ひとつの林檎が二つに分かれまた二つに分かれと、それを繰り返しどんどんと数を増やして行く林檎です。したがってこの林檎には種がありません。種を必要としないのです。バイオ技術、クローン技術のめざましい今日、生産性を追求していくとこういった林檎が生まれてきてもおかしくない時代になってきました。

 私の生まれた1961年はまさに高度成長の真只中で、進歩するものはすべて拍手をもって迎えられました。すべての最新技術は大手を振って進歩し、すべてにおいてまだまだ地球の大きさや存在が無限に見えた時代でした。いつまでも新しい技術を地球という生命体が寛容に受け入れてくれるだろうという錯覚がその頃にはまだありました。
 それから約40年たった今、私達の生活はよりいっそう複雑にそれらの技術の上に乗りかかったものになっています。今わたしがパーソナルコンピュータの前に座っているとはまさか思いもよらなかった事です。

 地球の大きさを私達普通の人間でさえ体感できるようになった今日、各方面での最新技術(大きく言えば文明なのですが)は本当に必要なものと不必要なものとを選んで行くべき所にさしかかってきています。これからも進歩し続けるであろう最新技術を全面的に肯定する事も否定することも今の私達にはできそうにありません。
ただ、必要なものそうでないものをまず研究者は判断し、それを私達個々がきっぱりと選択できる能力が本当に必要になってきました。
すべての最新技術に対して拍手喝采を送れる時代はもう過ぎ去ったような気がします。

甘酸っぱくて美味しい林檎は私は食べたい。

種のない林檎は食べたくない。

こんな判断をシビアに問われる時代が今、迫ってきています。

2002・6・8

12 懺悔

 申し訳ありませんでした。私は嘘をついていました。
今回の個展の時に御来場くださった皆様に配った文章中の6ヶ月部屋に放置した林檎と言うのはウソでした。本当は正確には3ヶ月半でした。
ここでもって皆様にお詫び申し上げます。
「本当に申し訳ありませんでした。」(文章はインフォメーション長谷川政弘展にあります。ここをクリック
 実は年末からの林檎は3月の中旬に母親に食べられてしまったのです!バルセロナ旅行に行っている間、留守番に来てもらっていた母が、帰国したその日、目の前にあった林檎をなにげなく剥き出してそのまま食べてしまったのです。ですから、今あるのは2個目の林檎なんです。
 現在林檎はこんな感じです。先週から林檎は急激な変化がありました。
今まではしわしわながらある程度のテンションを保っていたのですが、ここ1週間でくしゃくしゃに潰れてきました。原因は三つ考えられます。
ひとつは長男がいたずらでカッターの刃で皮をつついた。もうひとつは部屋に蠅がきた事。最後のひとつはただの時間の経過によるもの。はっきりした原因は判らないものの、私の予想ではカッターが原因ではないかと思っています。穴の空いたところから急激に水分が蒸発したのではないか?
という予想なんですが。大きな梅干しのように見えますよね。
 ここで私は皆様に懺悔の気持ちをこめて、このまま林檎をちょうど6ヶ月になる9月の中旬まで放置することを決心いたしました。
これから梅雨の季節、そしてこの厳しい夏を無事乗り越える事ができるのしょうか?
蠅が原因でなければいいのですが。今の所はカビだけなんですが・・・
またこの場所で報告することにします。

2002・6・4 (撮影2002・6・3)

 

11 楽園

 3月にバルセロナに行ってきました。あちらに彫刻家の知人が在住しており、たまたま行ったバルセロナだったのですが、アントニオ・ガウディはわたしにとって避けて通れない人物だったのかもしれません。
人間としての大きさの違いこそあれガウディのよしとするものとわたしのよしとするものが非常に似ています。しかしガウディ−のそれは想像以上にすごすぎた。
 すべては自然からの模倣である。人間は創造するのではなく発見するだけだと言う事。
 わたし自身も作品は自然の模倣であると思っています。彫刻家は自然をモチーフにどう機能を持たせずに自然の骨組みを見せるオブジェをつくれるか、自然と自然を組み合わせたりしながら。
 ガウディは芸術の門を建築というジャンルから入ったことから機能というこから100%避けることはできません。が、自分の主張を建築装飾という部分で妥協を許さず表現し、作品のスケールとち密さ、制作年月の観念においてはわれわれの常識をはるかに越えたずば抜けた感覚を持っています。
 わたしの持った印象ではガウディの建築はどれだけ機能以外に無駄ができるか。という建築だと感じます。その無駄な部分が芸術なのだ。その無駄をしたいが為に建物を立てるのではないか。                        ・
 わたしなどがガウディ−についてあれこれと語るのは大変おこがましいのですが、わたしがガウディーの作品群を目の当たりにして素直に感じた事は「自然が創造した一本の木に様々な生命が宿るようにガウディ−の作った自然世界の中に人々が営む。」といった考えではないか。
自然にできるだけ近く。ひとつひとつが楽園になるように。
 ・
きっと楽園を創りたかったんだと思います。できうる限り自然に近く。            

2002 3・25 (撮影2002・3)

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