40 飛行機
- 子供の頃から地図帳を見るのが好きだった。
- 飛行機に乗ると窓から地上を見るのがとても好きだ。
- 自分の大きさでは明確にイメージできない大地のかたちをこの目で確認できるからだと思う。
- 飛行機に乗って地上を見た時、自分の記憶の地形が本当に見えた。
- 記憶の中の海岸線が本当にそこにあった。
- 大阪湾。 四国の海岸線。 空から観た富士山。
- シベリアの凍りついた大地に流れる曲がりくねった河。
- アメリカ大陸西部の永遠と続く荒涼とした赤い砂漠地帯。
- 今はこんなに簡単に飛行機に乗れる時代だ。
- 飛行機は地球の大きさを体感できる。
- 地球は大きいのか小さいのかそれは人それぞれの感じ方にあるのだが、
- 総じて人は地球が小さくなったと言う。
- しかしこれは僕達の日常の物指しを越えた感覚である。
- そしてそれは非日常である。
- それに慣れるということは危険な事である。
- 日常の僕達は地に足をつけて生きている。
- 地に足をつけて生きることが僕達の日常だからだ。
- グローバルな考え方が今の世界を壊している一因になっているように思う。
- 人が自らの足で大地を歩く狭い範囲?の考え方も必要なのである。
- 地上に降りる瞬間、いつも非常に息苦しい気持ちになる。
- 大地を離れた非日常の空の視点から、着陸する時に日常の視点ににいきなり連れ戻されるからだと思う。
- 関空からリムジンバスに乗る。
- 高速道路から大阪の街を通り抜ける。
- 高速道路を降り奈良の町に入る。
- どんどんと現実が僕に迫ってくる。
- 僕の住む小さな生活の場所に戻る。
- すべてが現実に連れ戻される。
- よくもまちがわずにこんなに小さな我が家に帰れるものだと思う。
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- 今でもなぜ飛行機が空を飛ぶのか不思議でならない。
- とても無理をした移動手段ではないかと感じる。
- 何回乗っても慣れることはない。
- 空を飛ぶという事は、いつ地面に落ちても仕方が無いという覚悟で飛行機に乗っている。
- 僕にとって重力に逆らい空を飛ぶという事はいつになっても非日常の時間である。
2003.11.1(撮影11.4)
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- 11月の空
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39 蓮と共にカナダへ
- 左の写真のなんか変な物達を引き連れて「サン・ソーヴァー芸術祭」の出品のために明日からカナダへ行って参ります。
- この変な物達は、銅板でできた蓮の葉です。写真のこの時点は、蓮の葉のかたちができあがり緑青(銅を錆びさせた緑系の色)の色付けをするための下処理段階です。葉の枚数は末広がりの88枚。蓮の花が二つ。大きさは手のひらサイズです。
- 現地で葉っぱと茎と台を組み立て、何ケ所かの葉っぱの上にガラスでできた水滴をちりばめます。それらを直径2.4メートルФに敷き詰め、中央に一対の蓮の花を配置します。会場では僕の故郷の丸亀うちわを使い風を起こし、ゆらゆらと作品に動きを与えます。タイトルは「Lotus
Garden」いわゆるインスタレーションです。展覧会場の状況によってレイアウトは変更するつもりです。
- 今回の交流展は手荷物で作品を運ぶ事が条件でした。最近の私の作品はブロンズと石という重量のあるものばかりです。これらの作品を手荷物で運ぶとすれば、せいぜい小品が二点くらいが限界です。売れればいいのですが再び持って帰る事を思うとゾッとします。
- 交流展の参加が決まり、あれこれと悩んでいる時、「蓮をおつくりなさい。」と仏様からお告げがあった、と言うのは冗談ですが、「軽くてかさばらない作品でちょっとした個展並みの展示にしたい。」という思いの末の苦肉の策です。作家という生き物は元来目立ちたがり屋です。(僕だけか?)どうせやるなら「目立ったるでー!」っていう勢いでつくり進めました。
- しかし、アイデアっていうものは常に頭の片隅に置いておくと、ある日突然出てくるものですねー。これならお皿のように重ねられる。そして組み立て式。しかも軽い。オール金属なのに葉っぱ一枚分台座込みで130g前後という超ー軽い金属作品を完成させました。全重量約13キロ!
- 作品は「目立てばいい」というわけではありませんが、僕は少しでも鑑賞者の印象に残る作品にしたいと考えています。
- という訳で一路カナダへそしてニューヨークを廻って17日金曜日に帰ってきます。
2003.10.7(撮影10.1)
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38 東京・ひと
- 京都に帰ってきました。京都風に言うと今はホッコリとしています。個展が終了して一週間が過ぎ、やっと次の事に向かって頭が動きだした感じです。
- 今はカナダでの交流展のための準備をしています。出発は10月8日です。
- 個展の準備の為に放っておいた細々とした雑務をこなして次はカナダ用の作品の制作と大阪芸大での大規模なグループ展「アートステージ74」の作品の調整をしなければなりません。モントリオールからニューヨークを廻っての帰国は17日。20日には滋賀県は愛知川町での個展の搬入。実にハードです!
- 作家活動として本当にホッコリできるのは11月の中頃でしょうか。12月で42歳、厄年の最後にこんなに忙しくなるとは思ってもみませんでした。
- 東京ではたくさんの人達と出会い、見たことのない世界を少し垣間見、毎晩色んな楽しい人達とお酒を飲み、「百年の孤独」のお世話になること無く、慌ただしいけど楽しい毎日を過ごせました。
- 東京はおもしろい街でしたが、はじき返されるように京都に戻ってきたような感もあります。
- ほんのちょっとした事がスムーズに行かない事が多かった。いちいち杓子定規というかなんというか関西ではテキトーに済まされる事がいちいち引っ掛かってくるというか。この感じははっきりとは伝えられそうにないのですが、こういう事はこれからも何回も東京に足を運ぶごとで克服できそうな予感はあります。まぁ東京都のしきたりに「慣れる」という事ですね。なんと言ってもそこは世界のTOKYOですからね。
- 意外な収穫は、この一週間でなじみの飲み屋さんが三軒もできた事!そのうち二軒の方が展覧会の方にも観にきて頂だきました。神田の居酒屋さんでは三度目に行った時、厚かましくも生ビールをサービスさせてしまったり、焼酎の水割り加減も覚えてくれました。銀座の鉄板焼き屋さんではマスターの義父さんが偶然にも彫刻家の一色邦彦さんという事で話が盛り上がり今度来店する時はスペシャルメニューを用意してくれるとの事。勝ちどきのもんじゃ焼き屋の女将さんなんかは僕がもんじゃ焼きのおいしさにあまりにも喜んだのをみて律儀にもお持ち帰りのお土産までもって駆け付けてくれました。東京の下町の人情はいまだに健在です!
今回の個展は僕の周りにいる「ひと」を随分と感じるいいきっかけになったように思います。お花や祝電を頂いたり、なつかしい知人やわざわざ僕の個展の為に関西や四国から駆け付けてきてくれた大勢の友人・知人。陰で応援してくれた人達には感謝の気持ちでいっぱいです。
- 本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
2003.9.28(撮影9.27)
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- 東京ではほとんど写真をとっていません。ホントに余裕がなかった!
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- 9.14 PM10:28
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37 百年の孤独
- 明日から「百年の孤独」と共に東京へ行って参ります。
- 昨日は作品の梱包、今日は積み込み。やり残した事は多少ありそうですが何とか完成いたしました!今回の個展も本当にたくさんの方々からの協力で何とか開催にこぎつける事ができました。感謝です。
- さてこの強力な助っ人の「百年の孤独」はついこないだ宮崎の彫刻家の田中等さんから頂いたものです。田中さんのホームページで名誉ある10000人目の訪問者になったため御褒美にいただきました。
- 「百年の孤独」はかなりな有名麦焼酎で宮崎県は高鍋町の黒木屋本店でつくられています。時々飲み屋さんでも中身は入っていないのに瓶だけ飾っているのを目にします。
- 黒木屋さんにも何回か見学に行った事があるのですが、僕はイモ焼酎派なのでみんなが目を輝かせて注目しているこの焼酎にはあんまり興味が無くひたすらイモ焼酎の試飲を繰り返していました。
- しかし実際真面目に飲んでみますと「なんとおいしい焼酎ではないですか!!」「田中さんすみません!私はこの焼酎を侮っておりました。」
- なかなか口では表現できないのでちょっと今からまた飲んでみます。
- ちょっと失礼!
- ・・・・・・・・
なんて表現したらいいんやろこれは!
焼酎っていう線引きがわからん。
- なんかいつもとちょっと違う最近の重圧の日々から逃れるために、もらった日からチビチビ飲んでいるこの瓶の中にははたしてどれだけの量がのこっているのでしょうか? 確認する気にもなりません。
- とりあえずは知人も少ない東京での孤独をこのお酒で紛らわす事にします。
- では、行って参ります。
2003.9.14(撮影9.14)
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36 個展前
- 今日は火曜日。実は今こんな事をしている場合では無いのである。朝から酒を飲んでいる。そして個展は目前である。僕はプレッシャーがかかると一番楽な事をするようになっている。少ない時間ながらまだ間に合う、大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら焼酎を飲んでいるのである。が、その罪悪感から少しでも逃れたいと思うのか小心ゆえこうして文章を書いているようだ。僕が今酒を飲む原因はもう一つある。八月はこないだまで本当に忙しく動いていた。色んな事に駆けずり回りどうでもいい日が一日も無かったのだ。その埋め合わせとしてこの数日間、心と身体の健康を保つためにだらだらとしているのだ。良くも悪くも「彫刻家には日曜日はない。」と言うやつである。このいかした名セリフは彫刻家の故高橋清先生の言葉です。「平日も日曜日も関係なく、だだ自分の仕事に没頭しろ。」と言う意味だったのかも知れませんが僕の身勝手な解釈は「まわりの時間に縛られるな。やることやったら毎日が日曜日でもかまわない。」と身勝手に僕なりに解釈して実践しているしだいです。もしまちがっていたら先生には申し訳ない事でございます。
- 「彫刻家には日曜日はない。」かっこいい !! 何度聞いても名言だ !!
僕はプレスをかけて爆発するタイプ。プレスし過ぎて手後れになりそうな事も多いのだが、もう限界と言う所まで自分の事を斜から見ている。本当はだらしない自分の逃げ口上なのか自分でもよくわかりません。
なんだ!この暑さ、やっぱり最後に夏はやってきた。
2003.8.26(撮影 8.26)
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- 私の机の上 8.26 AM11:45
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35 上狛の狛犬
- 家の近所で素敵な狛犬を発見!自宅近所の家の門の奥に無造作に置かれた二匹の狛犬。この家は門といってもただの門じゃありません。門屋といってそこだけで何人も住めるような家になっている物凄く大きいお屋敷の門です。でも今は空家になっています。何メートルも続く背が高く長い土塀の所々が崩れかかり、この家の長い歴史を物語っています。年に一度くらい植木の手入れをするらしく今日は大きな門が開いていました。
いいものには人を引き付ける力を持っているというのは本当の話しです。もっともそれを受け止める側の力も必要なのですが。この狛犬は遠目に私と目が合った時から愛嬌ある表情で僕を睨み付け、私に何かメッセ−ジを送ってきました。しかし毅然としたポーズとそこから発する何物かが僕をなかなか近づけさせようとはしませんでした。気にはなっているものの横目で通り過ごしていたのですが、ついに三日目に我慢ができなくなって近くに寄って恐る恐る二匹の狛犬を観察してみました。「本物だ!僕の目に間違いは無かった!」この狛犬は近くに寄ってもクオリティーを落とすこと無く、いいもの独特のオーラを発散させていました。まさしくこの狛犬は造型を熟知したプロの仕事です。骨董的価値は僕にはわかりませんがテラコッタ彫刻としての高い質を感じる逸品です。
- 一品ものででしょうか?それとも型でつくられた量産品なのでしょうか?しかしこれには型で量産した時にできるバリの後もなく、安物臭さがまったく見当たりません。それどころか表面に施された迷いのない軽快なタッチのへらさばきは狛犬独特の毛並みをいきいきと表現し、片方は口を開け、もう片方はきゅっと口を締めたどことなく愛嬌のある顔の表情や少し体をひねったポーズは何ともいえません。特筆すべき点は体全体のフォルムと作り手の意志が伝わってくるタッチを残した仕上げとのバランスが見事です。
私には骨董趣味は無いのですが久しぶりに手に入れてみたいものに出会いました。おそらく築百年は経っているであろうこのお屋敷でいつからこの狛犬は住み着いているのでしょうか?機会があれは所有者に尋ねてみようと思っています。タイトルの「上狛の狛犬」とはこのあたりは上狛という地名で語呂のよさで名付けました。
2003.7.25(撮影2003.6.16)
P.S「梅雨」申し訳ありません。今でもまだまだ梅雨は明けていませんね!
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34 梅雨
- 今、たった今、長かった梅雨が明けた。ほぼ100%確実だ。
- 雨が上がったこの日射しにそれを感じた。今、僕がそう思った。
今年の梅雨は本当によく降った。久しぶりの梅雨らしい、いい梅雨だったように思う。ここ最近、何事もわかりにくく色々な事がだらだらと過ぎ去って行く事を思えば、今年のはっきりとした梅雨はすがすがしくもある。
ほとんど毎日雨が降った。だが、今年の梅雨は僕にとって嫌なものではなかった。夜中に家の前の溝の排水口が溢れだし家の中に雨水が流れ込んだ。酔っぱらっていたせいもあるが少しばかりウキウキとした事も否めない。溢れ出た水の中を意味も無く歩いた。朝起きて「今日も雨だね。」と妻に言うものの全然嫌な気分ではなかった。人との挨拶の中で「今日もうっとうしいお天気ですね。」と声をかけられても、これからくる夏の事を思えばお日様なんて見えなくてもいい、とさえも思った。今年の梅雨はなぜか過ごしやすかった。きっと中途半端な晴れ間も少なくあの蒸れるような水蒸気が上がる暇もなかったからなんだと思う。
ついに夏がやってきます。今年も僕は、夏にこてんぱんにやられてしまうんだと思う。今の気持ちはこのまま梅雨が明けなくてもいいんだけどなぁ。でも夏にならないと困る人達も大勢いるだろうししょうがないなぁ〜。
2003.7.8(撮影2003.7.8 PM3:00)
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- 雨の恵みで野放途に生えまくった家の木々
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33 矢印な木
- 国道422号線、信楽から私のアトリエのある大石(大津市)に抜ける途中の道でまたしてもとんでもない木を発見しました。
- 「なんじゃーこりゃー」っていうくらいの巨大矢印型の木。隣には訳のわからん形の木。何がどうっちゅー訳ではないのですが見事に天に向かった矢印に乾杯!(完敗!)ってところです。
おそらく杉の木でしょう。これは意図的か偶然なのかよくわかりませんが目を疑うくらいよくできています。もう少し先に進んでみるとその隣にもキノコ型の木が育っています。ニ本目になるとやっぱり作為的な香りが漂ってきました。ちなみに上の写真の右の木は矢印のできそこないか、それとももっと高度なテクを駆使しアートに走っているのかとなにやら想像してしまいます。
このあたりは建材用の杉の植林が多く、杉はほおっておいても尖ったパラソル型の形になっていきます。建築用の床柱にする時は、余計な枝が育たないように、こまめに下の方の枝を払って上の方だけに枝を残します。もしかしたらこの木は、途中までは下の方の枝を払って手入れをしていたのですが、なんらかの理由で手入れを怠たり、途中から枝が生え放題になってしまいこのような段差ができ写真のような見事な矢印ができあがったのかも知れません。
- 本来なら、この杉の木は最後まで手入れをなされて立派な床柱になっていた事でしょうが、なんらかの運命によってこんなに立派な「矢印な木」に成長してしまいました。
- この木をを見て驚き、感動するわたしのような人間が他にもいる限り一介の床柱になるよりもこれからも伐採されずもっと大きく成長して行き人々を驚かし続けるのもまたおもしろい人生、いや木生?かも知れませんね。
(しかし、となりの「キノコな木」もすくすくと成長してスマートな「矢印な木」になれるんでしょうか?これからもやさしく気長に見守っていく事にします。)
2003.6.9(撮影2003.6.9)
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32 情熱
- 20年くらい前にいつでも戻れるような気がした自分がいた。
ふとした風景や懐かしい音楽につけ、そうは遠くない記憶として
- 青春時代にたどり着き瞬時に頭の中にその景色と匂いが流れた。
- でも今の僕は一体何処にいるのだろうと考える。
だんだんとそういう記憶から遠のいていく今の自分を感じてしまう。
- 今、若い人達と接する仕事もしている。
彼らはすべての意味において情熱のかたまりである。
その仕事は次々に湧き出てくる彼らの情熱に油を注いだり冷ましたりするような仕事だ。
恥ずかしげもなく情熱という言葉が今も好きである。
情熱という言葉を自分の口から発するたびに胸の高ぶりを感じてしまう。
僕自身いつまで情熱を持ち続ける事ができるのだろう。
メラメラとした情熱は今も十分にあるつもりだ。
これから先は「今を生きるための情熱」を燃やし続けることじゃないのかなと思う。
2003.4.20(撮影2003.4)
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- 溶解炉の炎
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31 季節
季節は毎年めぐってくるものですが初めて「季節が体に入り込んだ」時の感覚は今でも鮮明に心に残っています。
- 全身で春を感じたのは20代前半です。
金沢に暮らして2年目めの4月。
- 残雪の消えていく芝生の上で
- キラキラとした雫の輝きとともに暖かい日射しのシャワーを全身に浴び初めて春を体感しました。
初夏を感じたのは、20代後半でした。
梅雨の明けた通勤途中の宇治川ラインで。
雨の上がった透明な空気の中、まだ少し淡いグリーンの若葉によって。
- 夏は小学生。
もちろん定番。蝉の声と入道雲と夏休み。
それとギラギラと照りつける太陽の光。
秋を感じ始めたのは去年の40代になってから。
- 冬は中学生になった頃。
- 夜明け前に毎日乗った自転車。
- 何重にも重ねて着けた手袋の上からも突き刺す風の冷たさ。
誕生日、クリスマス、大晦日、お正月。
- 暮れの押し詰まった空気は大好きです。
これから新しく感じる予感は夏から秋へのかすかな風のにおい。
それと晩秋・・・。
それはもっと先だろうな・・・。
2003.4.13(撮影2002.2)
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