Lulea Summer Biennial 2005 報告記

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Lulea Summer Biennial 2005 stay at Lulea on June 12th〜23th and stay Stockholm 23th〜26th

 
今回のビエンナーレの情報も田中等氏から昨年の12月に頂いたものである。4、5件のシンポジウムのおおまかな内容と期間、条件などをまとめたものををメールでいただいた。その内の2つが僕の目にとまった。一つがこのルレオー・サマー・ビエンナーレだった。もう一つはフランスで行われるシンポジウムであった。条件はまずまずだったのだが8月末から2週間なので9月の個展前なので断念した。
 ルレオービエンナーレのホームページをみてピンとくるものがあった。ここは素材限定のシンポジウム形式ではなくあらゆるジャンルのアート表現が許されている。そして素材、制作テクニックもまったく自由だと書いてある。今回で2回目になるのだが1回目の作品画像を見てもとてもレベルの高い印象を受けた。選ばれると待遇は完全招待、素材、制作環境も提供される。報酬が500ドルとやや低めであるが、今はまだまだ修行の身そんな事は問題ではない。世界の現代アートの中で自分を確認できるいい機会に思えた。
 今年に入って2月15日の応募締めきりに合わせ応募書類の作成にかかる。今回のプランは今日本で展開している「蓮シリーズ」のプロジェクトだ。たくさんの数の銅板製の蓮を床に並べるインスタレーション作品である。
 約1ケ月後の3月14日にメールが届く。世界各国から360人の応募があり選考の末、招待作家23人の中に選ばれたという内容であった。鳥肌が立ち震いが体を走る。この展覧会はこの他にサンパウロビエンナーレ、ギャラリー、美術館、主催者などからの推薦した招待作家4人とで合計27人(組)のアーティストらで構成される。この中には僕も知っている大物アーティスト、’トニ−・クラッグ’もメンバーに含まれていた。会期は6月23日から8月14日まででルレオー市内にある美術館、公園、ギャラリーに展示される。作品の売買も可能である。
 現地での制作、設置のためにアシスタントの同行も認められており、旅費は自分持ちであるが今回はいつも蓮シリーズを手伝ってもらっている妻にアシスタントとして同行してもらう事にした。
 最初のプランは蓮の葉を現地で300〜500枚制作、展示する。という内容であったが色々と考えているうちに、どうせやるなら数は多い方がいいだろうとこちらで完成した蓮をあらかじめ500枚送っておく事にした。
 今回はドバイの時と違いメールでの質問もすぐさま帰ってくる。出発までのあいだに現地での制作についての綿密な打ち合わせもしっかりとする事もできしっかりとしたオルガナイザーの人物像を容易に想像することができた。航空券も4月末にきっちりと届きこちら側のストレスはほとんど無い。

6/12(日)

 出発の日。朝4時に起きる。5時半に迎えに来たタクシーで奈良駅へリムジンバスで関空へ7時半頃到着する。10:30のフライトには3時間もあり早すぎるかと思ったが食事をしたり保険に入ったりしているといい時間になった。
 飛行機はオーストリア航空とANAの共同便だったが機体はオーストリア航空のもので個人ビデオが無いと妻は嘆いていたがなかなかのサービスであった。二人がけのシートでとなりが妻だったということもありいつもよりも快適に乗り継ぎのウイーンに着く。約12時間のフライトなのだがいつものことであるがほとんど眠れない。ウイーンの空港はなかなか華やかで美しいショップが軒を連ねてた。乗り換えは約1時間半。ストックホルムまでは約2時間半のフライトで到着する。日本の7時間遅れの夜の7:30である。ここではルレオー行の便を3時なければならない。
 食事をする。いきなりスウェーデンで寿司をたべる。あまりおいしくない。それに物価も高い。空港は時間の関係もあってか閑散としており、質素な印象をうけた。ルレオーまでは約1時間、機内でとても美しい光景を目にする。日没と日の出が続いた状態だ。そう、ここは白夜の国である!うっすらとかかった雲の下にとても光度の強いオレンジの太陽がじっとしている。その光を雲が吸い込みとても不思議な光景をつくっている。
空港には今まで何度もメールでやり取りしていたサラが迎えに来てくれていた。現地時間で深夜の12時。外は少しだけうす暗い程度。
 車でホテルに案内されチェックイン。なかなか快適そうなホテル。窓から停泊した船と海が見える。日本の家をを出てから24時間くらいたつ。もうくたくたである。シャワーをあびて即ベッドに入る。

6/13(月)1日目

 あまり眠れない。5時に起きてしまう。昨夜渡されたスケジュール表と今回の展覧会に対しての誓約書の内容を確認する。8時過ぎにレストランに行く。食事をしながらまわりを観察する。いろんな人種のそれらしい面々がいる。朝食はビュッフェスタイルで豪華である。塩辛いがスモークサーモンはとてもおいしい。何枚も食べてしまう。
 9時からロビーでインフォメーションミーティングがある。アーティスティックマネージャーのダンの挨拶から始まってそれぞれの担当スタッフが今回の進め方についての説明をする。以前から何回もメールでやり取りしていたプロジェクトマネージャーのサラは思い描いていた通りの女性であったが、材料や工具関係のやり取りをしていたプロダクションマネージャーのピラーはてっきり男性だと思っていたがとってもチャーミングなメキシコ生まれの女性であった。オルガナイザー側は全員地元のアーティストである。半分くらいは彼らの英語を理解できる。そのあとそれぞれの作家の紹介がある。本当に世界各国のアーティストの集まりである。
 全員で今回の会場となるミュージアムNorrbottens museumとMuseiparkenミュージアムパーク、ギャラリーKonstens Husを歩いてまわる。ミュージアムの展示スペースは小さかったがギャラリーの展示スペースは日本で考えられないくらい広かった。ギャラリー内に木工所を備えており専属スタッフが展示に必要なブースをつくったりしてくれる。こちらこそ美術館とおもえるようである。僕の作品は2階のコーナーのスペースだとサラに知らされる。1000枚のインスタレーションをするには狭すぎる。隣の作品によっても雰囲気が変わってくる。しかしここはグループ展の性質上ある程度は仕方がない事だ。
 歩きながら何人かの作家と雑談する。こちらから話しかけぬともむこうから次々と話しかけてくる。フィンランド、ウエールズ、韓国、シンガポール、ザンビア。妻がいうには僕はとてもフレンドリーなオーラを発散しているらしい。
 ワークショップスタジオに案内される。車で約10分くらいの郊外の森の中にある。いかにも北欧的なロケーションである。スタジオはゆったりとした空間で陶芸、金属、石、木、プリントなどあらゆるものづくりの素材に対応ができるようになっている。日本から送った荷物は届いておりこちらで調達された素材の確認をする。さすが、すべて用意されていた。
 食事に関しては朝と夜は基本的にはホテルで、あとお昼はチケットが配られており市内の4ヶ所で食べる事ができる。スタジオで制作する僕達は近くのビュッフェスタイルのレストランで毎日取る事になる。2.2%の低アルコールのビールだがこれもフリーである。シンガポールのチャンドラーと2本づつも飲んでしまう。
 ランチを食べるととても眠たくなってきたが妻に促され早速制作にかかる。今日は250枚をはさみで切り出した。5時ごろ仕事を終える。妻はとても楽しそうに仕事をしている。
 7時からウエルカム・ディナーがある近くのレストランまで歩いていく。サーモンのステーキとマッシュポテトとワイン。とってもおいしい。ワインのおかげで話が弾む。同じアジアのチャンドラーとキョンファーなどとアジアのアートについて熱い話が始まる。ワインを飲むごとに饒舌になってくる僕であった。ミュージアムの館長が僕の蓮プランがとても気に入っているといってくれる。できれば自分のところで個展をして欲しい気持ちがあるのだが日本人を招くにはとっても予算がかかると嘆いていた。10時半にベッドに入る。
ワークショップスタジオ 通称 COCO-BAY

COCO-BAYで制作するアーティストたち
鈍し(なまし)とサンディング作業

6/14(火)2日目

 昨晩もあまり眠れない。1時間ごとトイレのために目が覚めて眠りが分断される。4時半頃からは眠れそうに無いのでウイスキーを飲む。6時から少しだけ眠る。朝食を食べて9時にスタジオ行の車を待つ。妻は今日も元気である。
昨日の続きの切り出しをする。昼過ぎに500枚を終え、鈍し(熱をかけて銅板を柔らかくする)とスクラッチ(鉄のペンで引っ掻いて葉脈を入れる)にかかる。いつもは鈍した後は酸化膜を酸洗いをするのだがここでは一つ工程を減らしてロウ付け部分だけ酸化膜をグラインダーで取る。
 こちらの天候は少しだけ肌寒いくらいで僕にぴったりである。湿気も無く森の中で寝そべって休憩するととても幸せな気分になれる。
 僕達の作業台にスペインのクリスティーナらが加わりいろんな雑談に花が咲く。木曜日の懇親会に必要なプレゼンテーションのCDを持ってきたかとジャンに尋ねられる。他の人に聞くと持ってきているみたいなのでここでつくる事にする。6時まで仕事をして妻の買い物のためにホテルの隣のデパートに行く。その後少しだけ街を散歩する。まわりを海に囲まれて歩いてどこにでもいける丁度よい大きさの市街である。
 ホテルの晩ご飯のメニューは朝食とは打って変わって驚くほどとても質素。キョンファーが作品の設置場所が僕の場所と入れ代わるかも知れないのことで相談してくるがとっても疲れており英語で喋るテンションが上がらず明日ギャラリーに見に行くということで納得させる。
 今日は薬を飲んでしっかりと寝る事にした。

6/15(水)3日目

 薬を飲んで寝たせいかある程度普通に眠れた。
朝チャンドラーに誓約書の中で僕にはわかりにくい部分の英文を読んでもらう。わからなっかった点は作品の返送の項目である。僕が思っていたとおり日本から送った作品に関しては主催者の負担で返送してくれるが、ここで材料の提供をうけたものに関しては返送は自己負担になるという事。大型の野外作品などはほとんどの作家がここの彫刻公園に設置してある。
すべての面でとっても親身になってサポートしてくれる地元のスタッフへの感謝の気持ちを込めて。ここでつくった500枚の作品はこのこの地において行く事に決めた。
 今日の作業は、早く鑞付け(銅パーツを銀鑞で接合)にかかるために鈍し作業を二人で行う。スクラッチは妻に任せて僕はロウづけ作業に専念する。妻のスクラッチの線はだんだんと僕の線に近づいてきた。上手くなってきてる。今日も妻はテンションも高く上機嫌である。
 今日のランチは街中のレストランで取る。毎日同じレストランだったのでスタッフが気を使ってくれ、車で迎えに来てくれた。ここでアーティスティックマネージャーのダンと作品の展示場所の話し合いは4時にギャラリーでということになった。 スタジオに戻りひたすら鑞付けに専念する。見学に来ていた二人の女性が僕の日本での個展のDMを見てこれはいくらだ?と尋ねてきた。彼女らは僕の作品がとても気に入ったらしい。これはフリーですよ。と差し上げたらたいそう喜んで帰って行った。
 ダンが迎えに来てギャラリーに行き2階の展示スペースを確認する。依然隣の作品の概要は彼の説明でははっきりとしないがあまり大きな作品ではないらしい。何にしても最終的な自分のスペースがきまったので一安心する。後はこの場所でどれだけよい展示ができるかだ。
 あと、今回のビエンナーレで使うリーフレットがギャラリーにおいてあった。出品作家全員の紹介文を載せているのだが僕の紹介の覧には作品画像も使われてあった。こういう物は画像があるとないではインパクトがぜんぜん違う。これからも資料として残っていくものなので僕の画像を使われた意味は大きい。
 今日は小雨が降ったり止んだりでスッキリとしないお天気だ。ギャラリーからホテルまでぶらぶらと街を散策しながら歩いて帰る。本当にこの街は日本と違ってゆったりとつくられた街である。ゆったりとした街にゆったりと人々が往来する。せかせかとした感じはまったくない。人々がストレスなく暮らすためのバランスのとれた空間を感じた。ホテルに帰りゆっくりとシャワーをあびてディナーに行く。今日も相変わらず少ないメニューだがトナカイの肉のハンバーグは以外とおいしかった。
韓国(ハンブルグ在住)のキョンファーらとレストラン前で.
鑞付け作業

怪しい英語でのプレゼンテーション

6/16(木)4日目

 今日もスタジオでは妻はスクラッチをし僕は鑞付け作業に専念する。ある程度メドがついてからプレゼンに使うCDをつくるためにパソコンに向かう。このスタジオの事務所には3台のMacがある。その内2台を自由に使えるように解放してくれている。隣でメールをしていたチャンドラか手伝ってくれるという。僕のポートフォリオをスキャニングしてフォトショップで保存するだけなのだが文字がスウェーデン語なのでさっぱりわからない。カルロスに尋ねながら20枚位のデータを保存して行く。それをチャンドラがパワーポイントで編集しくれ約1時間でプレゼンのCDが完成する。自分の仕事を後回しにして僕に協力してくれたチャンドラには頭がさがった。
 彼は現在45才でインド系シンガポール人である。ベネチアビエンナーレにも参加した経験のある優秀なアーティストだ。今は家族とオーストラリアで住んでいる。国費でオーストラリアの大学で博士課程を収得中である。2007年までオーストラリアに住んで帰国後は大学教授の席がまっているエリートらしい。彼は誰に対しても人なつっこい人物なのだが僕とは一番話しやすいのかよく行動をともにしている。彼とはお互いこれからも長い付き合いになりそうな予感がする。
残りの時間で500枚分のロウづけを完成させる。
 今日はミュージアムでビエンナーレ関係者出席のディナーがあった。7時から講議室で作家達のプレゼンテーションが始まる。あまり広くない室内が人々で埋まっている。ここで始めてわかったのだがやっぱりCDを使ってのプレゼンテーションは全員がするのではなかったらしい。これはおっちょこちょいのジャン(スタッフ)の早とちりだった。CDを用意してきていたのは10数名の作家たちだけであった。たまたま僕が尋ねた作家がCDを持っていたに過ぎなかったのだ。何と僕は自分から苦難の道を選んだのであった。
 まず1番はチャンドラから始まる。有能な大学教授のような話っぷりであった。本当にこういう事に慣れている印象だった。数名がそれに続きプレゼンを行う。途中に休憩を挟んで二人目に僕の順番がまわってきた。覚悟を決める。15分程度の発表であったが何故か最初から大拍手がおこり終始笑いがたえない楽しいプレゼンテーションになった。ここはスウェーデンでありこの場は色んな国の人間が集まっている。みんなが必ずしも英語が得意な訳ではないのだ。僕の拙い英語が幸いして逆にみんなから好感をもたれたのだった。しかし自分でも驚く程の勝負強さである。いったん前に出てしまうとやってしまう自分に驚いた。席に戻る時何人もの人達に握手を求められる。大成功であった。やる時は覚悟をきめてチャレンジする!今までに無い経験を積み重ねて実績としていくという大切さを身を持って実感した次第である。今日はそのきっかけになったおちょこちょいのジャンとチャンドラーの親切に大感謝である。結局全員が終わったのは10時を回っておりみんなお疲れぎみであった。
 今日も一日曇りであった。明日は緑青の色付けをしなくてはならない。天気が心配である。

6/17(金)5日目

 朝、他の作家やスタッフ達から昨日のスピーチはよかったとお誉めの言葉を頂く。
 色付けの日なのに今日も小雨が降っている。とりあえず酸化膜を取るために酸洗いから始める。硫酸と水が1:9くらいの割合の希硫酸をバケツにつくる。一度銅板を漬けてみる。30秒程で酸化膜がとれて行く。いつも使っているよりも濃い気もするがこの方が仕事がはやい。午前中に酸洗いと水洗いを終える。しかし外はまだ雨が降っている。
 ちょっとした買い物があり市街まででかける。サラに店を案内してもらったが目当てのもは見つからなかったがその間、サラと色々と世間話をする。丁度彼女のお嬢さんの話をしているとショッピンモールでばったりと彼女のお嬢さんに出会う。今日から夏休みらしい。13才のとってもキュートなお嬢さんだった。それと北欧の人々は夏と冬では人間が変わるという話。長くて暗い冬を越した人々は毎日がハイテンションで短い夏をとことん楽しむらしい。冬は、ひっそりと暮らしているらしいがすべてが真っ白の雪に覆われた景色やウインタースポーツの好きな彼女は冬もまた好きらしい。会場になるのギャラリーをのぞくとたくさんの作家が作品の設営をしている。みんなまだまだ時間がかかりそうである。
 スタジオに帰りランチを取ったあたりから雨が上がり曇り空から晴れ間が見えてきた。空の神様は僕に太陽を与えてくれた!!丁度よい緑青日和となる。
ここぞとばかりにと色付けにかかる。休憩もとらずひたすら色付け作業を続ける。妻と僕の見事なチームワークによって6時頃作業が終わる。500枚蓮の葉っぱに美しい緑青色がついた。大きな今回の制作の一番大きな峠を越えた気分だ。

 ウイスキーが切れていたのでホテルにつくとすぐにチャンドラと酒屋に行く。ここでウイスキーとビールを買う。アルコール類の値段はは日本と差程変わらない。冷えたビールは売っていなかったので氷りを入れて一気に飲み干す。ホテルでのディナーのあと妻と散歩に出かける。夜の9時から散歩ができるのは北欧の夏ならではである。約1時間の散歩であった。人々は白夜を楽しみにぎわっている。観光客も結構いるようである。めぼしい店に目をつけて後日でかける事にする。

 今回の制作の中で一番の心配であった色付けが無事に終わり本当によかった。チャンドラの神様に感謝する。(詳しくはここをクリック)これで安心して明日からの1泊旅行にいける。
発色液を吹き掛け緑青をつける。きのこのようにも見える

6/18(土)6日目

 今日から一泊で白夜を楽しむために船で島に渡る。
午前中はルレオー郊外にある世界遺産になってる中世にできた教会の町(GAMMELSTAD CHURCH TOWN) に連れて行ってもらう。教会を中心に質素な家々が取り囲む古い村である。村ごとすべて保存され世界遺産となっている。 昼食後、作家やスタッフ全員で貸しきりの高速艇に30分くらい乗って島に渡る。ここのビーチは、太陽が沈まずに水平線にそって移動するのが見えるスポットである。今日も午前中は小雨が降っていたが昼過ぎから晴れ間が見えだした。北欧の海の色は黒く重たい感じがする。初めて見る海の色であった。あまり泳ぐ気持ちにはなれない。
 僕達は2人用の小さなキャビンの鍵を受け取り夕方まで昼寝をして、ビーチに出て行くともうビールやワインを飲んで酒盛りが始まっていた。レストランでのディナーはここでもサーモンとじゃがいもの料理がでる。スウェーデンの料理は甘いか塩辛いかどっちかなのだがここは僕達日本人の舌にあったなかなか上品な味付けであった。まわりのみんなは味付けが頼り無かったのか胡椒や塩をバンバンとかけていた。ここでもワインを何杯も頂く。食後チャンドラ達の4人部屋で飲み直す。プエルトリコのラモンが僕の帽子をとても気に入ったようで最後の日にサングラスと交換して欲しいと言ってきた。僕もお気に入り帽子だったがこれも記念になるかと承諾する。
 ビーチに出てみると、たき火を囲んで宴会の環ができている。これから先は飲めや歌え踊れのどんちゃん騒ぎでラテン系の作家の歌う歌に合わせてザンビアのチャンダと僕とでダンスのバトルになる。ビーチにあるサウナから出てきたたくさんの男女が真っ裸でビーチを走り抜け海に飛び込む。酔っぱらった僕は砂浜に正座をして砂に字を書いては消し書いては消すというパフオーマンスをする。「日本の美は、はかないものなのだ。」というような事を言ったような気がする。
 スタッフの人たちと世界中の国からやってきた人々がこの場所で同じ時間を共有しているという不思議さについてしみじみと語り合う。アートが僕達を結び付けているという事は言うまでもない。そして僕達をアーティストとして受け入れてくれたルレオーという町に感謝する。
 
 午前1時を回ると水平線に沿ってずっと右に移動する太陽がある。これが数時間続く。これが白夜である。夕日と朝日、どっちとも判別できないオレンジ色の太陽が数時間続く。ワインを飲み過ぎしんどくなってきたので確か2時か3時ごろにはキャビンに帰ったと思う。

6/19(日)7日目

 昨夜はスウェーデン名物のモスキート(蚊)に悩まされまったく熟睡できなかった。何匹殺しても次々に襲ってくる。二人用のキャビンに泊まった人達はみんなそうであったらしい。酔っぱらってチャンドラの部屋に置き忘れたバッグが見つからずあせってしまったがもう一度ゆっくりと探してみるとイスの上に見つかって胸をなで下ろす。この中には貴重な物がたくさんはいっていた。
 昨夜は何人もが徹夜で飲んでいたらしい。ランチを島で食べて再び船でルレオーに戻る。シャワーを浴びて夕方まで眠る。妻は買い物にいったみたいだ。ストックホルムで泊まるホテルを予約する。ここと同じ系列のホテルにした。ストックホルムのシティーターミナルビル内にあるとても便利な場所だ。少々高いホテルだが三日間そこで泊まる事にした。
 食後妻とチャンドラとで街を散歩する。夜中の12時のジャン(スタッフ)達のパフォーマンスを見るため再びホテルをでて会場であるの近くの工事現場に向かう。大の大人が小さな水着をきて小さなビニールプールの中で真面目に泳ぐというお笑い系のパフォーマンスであった。ここでも無数の蚊の大軍に襲われる。

 今日はここへ来て初めての休日気分を味わう。明日からは最後の追い込みが待っている。


お調子者のジャン(右)

蓮の葉を立てるための鉄のベースプレート きっちりとレーザーカットがされてあった。

6/20(月)8日目

 いよいよ今回のビエンナーレの制作期間も終わりに近づいてきた。残すところあと3日である。朝ホテルのロビーで今回仲良くなった作家やスタッフに日本から持ってきた雪の模様の紋切り(和紙の切り紙)のお土産を渡す。とても喜んでもらえた。明日には作品の展示作業をしなければならないので実質今日ですべてを完成させなければならない。
 妻に茎の色付けはまかせてベースプレートに塗装にかかる。先日ピラーから渡された塗料を試しにスプレーしてみた。ラッカーと指定したのだが何か匂いが違う。テレピン系の溶剤の匂いである。なかなか乾燥してくれない。この塗料は遅乾型である。これでは今日一日で数500枚のペイントは不可能である。こういう時が一番むずかしい。日本でラッカーといえば極めて普通の塗料なのだが、こちらではラッカーとは塗料全般をさすみたいだ。塗料のについての英語での細かい指定のわからない僕にはこういうトラブルが付きまとう。ジャンからピラーに連絡を取ってもらって塗料の交換を伝えてもらう。ピラーには伝わったらしいのだがなかなかピラーが現れない。いらいらとした気持ちであるが、茎の色付けに専念する。今回2回めの不安な気持ちに陥る。ランチに行くが今日で完成できるかが不安で気が気でない。スタジオに戻り30分程してピラーがあらわれ、アクリルの水性塗料を渡される。乾燥の早い塗料といったので一番乾燥の早い塗料を選んでくれたのであろう。水性塗料は鉄とはあまり相性がよいとは言えないが説明書きには30分乾燥と書いてある。高濃度でスプレーすると何とかはじかずに塗装できそうだ。保護膜はあまり強くないが室内展示なのでこれで良しとする。時間もないので表の片面だけの塗装にする。あと1日あれば両面できるのだが・・・。
異国の地で自分の思う100%の仕事はできない事はわかっている。
 しかしピラーのサポートには頭が下がる思いだ。今まで何度も僕の不手際などで何度も材料を取り替えてきてもらったにもかかわらず嫌な顔一つ見せずいつも笑顔で応対してくれ僕の思った以上のことをしてくれる。人の気持ちのよくわかる本当に頭のいい女性である。
 2時から塗装を始め6時前にはすべてが終わった。最初の方の塗膜はもう乾燥している。これだと明日にはすべて完全に乾いているであろう。ここで作業している他のアーティストたちも完成ま近であるようだ。
 これでまた一つの峠を越えた。しかし今日も金曜日に続き物凄いハードワークであった。ホテルに帰りまずビールを一気に飲んで今日の疲れを癒す。まぁー今日も本当に心身ともに大変な一日であった。

6/21(火)9日目

 今日はついに作品展示の日となった。スタジオに行きKonstens Hus(ギャラリー)に持って行く作品の準備をする。ここでの作業はもう終了なので掃除をし、あまった材料などを一ケ所に集める。ラモン達はまだできあがってくる材料を待って今日いっぱいはまだ作業をするらしい。マークも島で怪我をした足を引きずっていてまだまだ仕事がのこっているようだ。チャンドラはほとんど完成であるみたいだ。クリスティーナらはもう完成なのか作品はあるのだがここにはいない。
 このスタジオの周辺はKRONAN SCULPTURE PARKと呼ばれており、前回のビエンナーレの野外作品やこれまでのシンポジウム作品が十数点おいてある。日本人は井上麦氏、阿部守氏の作品がある。僕の作品もこの周辺に設置されるらしいが何ゆえ華奢な作品なので野外空間では到底ここでの冬が越せるとは思えない。何処かの室内空間に設置してもらおうと思っている。
 昼からKonstens Hus に連れていってもらい展示を始める。まず一番奥のコーナーを使い半径3.5mの4/1の円をつくる。そこを始まりとして手前に直径2.4mの正円をつくる。この円をつくる最中に今回ここでつくった500枚の蓮を使い果たす。茎を葉っぱとベースプレートにさして行く作業の繰り返しである。もう何度この作業を妻と繰り返しているのだろうか?いいかげん嫌になってきたが今日中に終わらせたい一心で黙々と作業を続ける。あと直径2.4mの半円を手すりのラインに隣接させた構成とする。僕の隣の作品は幸い小型で威圧感のない作品であったのは幸いだった。もっとこちらのスペースを使っても問題ないよ。と声をかけてくれる。Lotus Gardenのタイトルのごとく作品のあいだを縫って歩けるような配置とした。構成的には5月のギャラリーいろはにと同じコンセプトである。壁の作品の取り付けを残してこれで大まかな配置は完成した。明日の3時までまだ時間があるのでもう一度明日新鮮な目で全体の構成を確認して壁の作品を最後に取り付ける事にした。
 本当に今回は妻に同行してもらって大正解であった。今回の作品はどの工程も単純作業の繰り返しである。これだけの数は僕一人では到底時間的にも精神的にも完成させる事はできなかったであろう。ホテルのディナーにギリギリに間に合う。部屋に戻ると妻はシャワーも浴びずに寝てしまった。よっぽど疲れていたのであろう。

6/22(水)10日目

 最終日となった。昨日行った作品の構成を一夜明けて見る。おおまかな構成はこれでOKである。手すり側の半円だけをひと回り大きくした後、最後に壁の作品を取り付ける。これで全体の空間が引き締まった。足元を覆う蓮に対して目の高さに壁の作品をつけることによって空間を立体的に変える事ができた。また真鍮の金色がよいアクセントにもなった。最終的に床に使った蓮の数は728枚、花は21輪となった。ランチも取らず荷物のかたづけをして写真の撮影にかかる。少しでも多く売りたいので日本よりも若干安めにつけた作品価格のリストをサラに見せ相談する。安いとの事。最終的な値段はギャラリ−のオーナーに任せることにした。
 これでスウェーデンでのLotus Gardenプロジェクトは完成した。小蓮のインスタレーションとしては今までの最大規模の大きさになった。3時前にホテルに戻りビールを飲む。満足感が込み上げてきた。 (完成画像へ)
 5時から早いディナーを取ってミュージアムの方の作品を見に行く。公園で大きな木に作品を取り付けているマーク以外はみんな作品は完成している。
ギャラリーに戻り作品をみてまわる。レベルの高い展覧会である。自分の作品の前に立ち人々の反応を見る。インタビューを受けたり何人もの人達からビューティフルとの言葉をもらう。やはり思ったようにこの作品と仏教との関係は?という質問も受ける。僕は仏教徒ではあるがこの作品とは直接的な関係はない。と答える。美術館の館長からも個人的に是非作品を購入したいという言葉ももらう。大勢の人達が会場に詰め掛かけ7時からオープニングが始まる。作家やアシスタント一人一人の名前が読み上げられ記念品が手渡される。
 場所を美術館前に変えてここでのオープニングが始まる。このエリアに展示してある作家の名前が読み上げられる。
 この公園内でチャンダラーのパフォーマンスが始まる。赤い衣装を身にまとったチャンドラ−の背中に大きめの釣り針を10ケ所にさしてそれを赤い紐で結び竹でつくったテンプルに繋ぐ。そして目隠しをして馬に引かれて歩くというもの。下腹部に点滴で使うビニールに牛の血をいれぽたぽたと血を垂らしながら歩く。僕はそのテンプルが横にそれるのを修正して欲しいと彼に頼まれずっと彼について歩く。その一部始終をテレビカメラや報道のカメラなどに取り囲まれる。約20分ほどのパフォーマンスであった。
 終了後、今回の出品作家に対して2名の受け取るスカラシップが発表される。一人はのザンビア(アフリカ)のチャンダ作品。もう一人はフランスの女性写真家のリザであった。
 10時から海に浮かぶ船上のレストランでお別れパーティーがある。明日はみんなそれぞれ帰国の途につく。みんなと別れを惜しみ大いに盛り上がりここでもレストランはディスコと化しこの盛り上がりは少しだけ薄暗い2時半まで続く。

 

6/23(木)

 ルレオーの空港から出発する午前中の2便でほとんどの作家達が飛び立った。空港においてある新聞各紙にルレオーサマービエンナーレのオープニングとチャンドラ−のパフォーマンスの記事が派手に踊っている。チャンドラ−のパフォーマンスのアシスタントをしていた僕も各新聞に写っている。できれば自分の作品の前で写りたかった!(苦笑)まあ何はともあれ自分の思い描いていたイメージの仕事はここでやり遂げることができた。この展覧会は7月22日から8月14日まで続けられる。作品の評価はまた後日知らせてくれるであろう。今回のオルガナイザーやこのビエンナーレの関係者に感謝、感謝、大感謝である。

 この後、僕達はストックホルムにて三泊して月曜日の朝に帰国した。ストックホルムでもちょっとしたハプニングに何回か遭遇したがその事は次の機会にまわす事にする。今回の参加者全員の作品写真をアップしたい所なのだがこのホームページの容量が少ないゆえ勘弁願いたい。いずれ几帳面なルレオービエンナーレのサイト上に(http://www.kronan.net/kilen/)全員の作品がアップされると思う。

 前回参加したドバイでの制作は何事も初めてのことだった上、かなり難易度の高いところ(アラブ諸国の人間との感性の違い)での経験があったせいか、感覚的に日本人に近いスウェーデン人とのやり取りは本当にストレスなく物事が進んだ。それと今回のリラックスできた大きな要因は妻の同行によるものであったと思う。常に一緒に行動していたのでいつでも日本語で喋る事ができるのだ。前回のドバイでは日を重ねるにつれてスムーズに言葉でコミュニケーションのとれない自分がとてもみじめに思え、だんだんとテンションが下がっていく自分を感じた。僕の50才までの課題である「武者修行と他流試合」としては今回はいささか過保護すぎた気がしないでも無い。
しかし色んなパターンでの場数を踏んでこそ物事に動じず行動する力が強くなって行くのだ。
 今回の一番の出合いはチャンドラ−と出会ったことだ。年齢も僕とそう変わりのない彼とはこれからも友情は続いて行く予感が十分にある。何といっても彼は妻の一番のお気に入りになったのだから。日本で彼と出会う機会はそう遠くはない未来のような気がする。

2005年 8月11日 

Lulea Summer Biennial 2005 報告記

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