「もの」つくり話 70〜 ものづくりのつぶやきです。少しずつ追加していきます。

Home

「もの」つくり話

自室の窓超しの金木犀

76 金木犀

 金木犀の香りがあちこちで香る季節。
わが家に金木犀の木がある事に今まで気がつかなかった。
10月に入ったある日の朝、久しぶりに部屋の窓を開けるとオレンジ色の花が目に飛び込んできた、と同時に金木犀の香りが・・・
 しかし、なんでここに金木犀が?!! 
慌てて妻を呼んできたが彼女も初めて知ったという。まさか植物が歩いてきて住み着くわけはない。随分前から生息していたのだろうがなんで今まで気がつかなかったのか?この満開ぶりをみると去年もちゃんと花をつけていたのに違いないと思うのだが・・・
 不可解を抱きながらよく観察してみた。木の直径は8cmくらいあるがよく見ると下から1.5mくらいのところで幹を一度切った後がある。そのわきから四方八方に枝が生えてきてたくさんの花や葉をつけている。

思い出した!随分前にこの木を切った覚えがある。

 部屋の窓と隣の家の塀がかなり接近しているので木が大きくなると塀をはみだして隣家の屋根や雨どいに葉っぱがたまるのを懸念して大胆にも根元近くで切ってしまったのだ。
 窓の模様ガラス越しに映る木々の緑はお気に入りだったのだが切り過ぎてしまってからは殺風景なブロック塀のグレーしか映らなくなりとても後悔した事を思い出した。
 それから何年もかけて金木犀は多くの花をつけるまでに成長したのだろう。背の低いうちは日当たりも悪いので成長に時間がかかったのか?塀の高さを超してからは日当たりもよいので飛躍的に大きくなったのだろう。そう言えばこの夏、風にそよぐこの木の葉と影が美しく窓をあけてよく眺めていた。

 余談だが僕の母はこの金木犀の香りが大嫌いだと言っていた。まだ僕が20代の頃その話を聞いた。金木犀の香る季節になるとその事を思い出す。この香りが嫌いだというひとも珍しい。母は大の植物好きなのだが・・・

なぜ嫌いなのか?いまだに母に尋ねられないでいる。

2008.10.14(撮影10.11)

75 It too late !!

 9月17日ついに我が愛車ハイラックスのメーターが333333kmを迎えた瞬間!と言いたいところだったが10キロオーバーしてしまった。
 9月21日にHPのカウントが22222をカウントした瞬間!と言いたいところだっが10超えてしまっていた。

まさにどちらも「It too late !!」

 ハイラックスの場合はもうすぐくるぞ、くるぞ、と待ち構えていたにも関わらず気がつけば2キロ超えてしまっていた。うっかりが多い僕らしい結末。仕方がないので10キロオーバーした333343kmところで車を止めて写真にとどめた。もっとも3のぞろ目の時点は高速道路を走行中だったので車を止めるわけにもいかなかったのだが。
 4日後の21日にHPを開くとカウントが22232この時、僕はニヤっと笑った。「これでいいのだ!」これでどちらも下二桁目が10多い未完成なぞろ目になった。こちらは偶然である。
 しかし同じカウントとは言えハイラックスのメーターには重みがある。桁が一つ違うということもさる事ながらこの数字には嘘、偽りは無い。実際に走ってなんぼの数字である。そして本当の実走距離はもっともっと長いはずである。この車のタイヤはノーマルよりもかなり大きい直径のタイヤを履いている。という事は円周が長い。古い車なのでタイヤの回転で距離を刻むのでかなり違いが出てくると思う。実際スピードも並走してもらった車とくらべると3キロくらいスピードが出ていた。僕が譲り受けた17万キロの時点よりも前から大きいタイヤを履いていたので距離の誤差は膨大であろう。ちゃんと計算したわけではないが実走距離は40万キロくらいになっているかもしれない。40万キロとは地球10周分である。
 十年前に一年くらい乗れればいいやと思って乗り出したハイラックス。次のゾロ目は444444km。
う〜ん・・・持病を抱えた今の状態では難しいかも・・・
しかし「4」という数字は僕の一番好きな数字なのだ!それが6桁のぞろ目となるときっとすっごく気持ちがいいんだろうなぁ〜 

なにはともあれ次回は絶対に見逃せない。

2008.10.14(撮影9.17-21)

泉大橋より生駒山脈を望む

74 夏のいいとこめっけた!

それは空だったのだ!

 7月の末からお盆前まで大学での通信教育のスクーリングの授業を受け持っており2週間ほど普通の人なみに毎日朝決まった時間に出勤し決まった時間に帰宅する日々を送った。僕の愛車ハイラックスは相変わらずエアコンは壊れたまま。往復約90キロの道中は毎日ホント叫びたくなるくらい暑い。帰りの渋滞中、ふと見上げた空はまさに夏の空。絵に書いたようなくっきりとした輪郭の入道雲・・・・・家に近づくにつれその輪郭はだんだんと溶けていき夕暮れ時に差し掛かる。ちょうど我が町の手前、木津川にかかる泉大橋に差し掛かるころには西の空の色がオレンジがかかってくる。我が家を目前にこの景色に遭遇すると今日の暑かった一日がなんだか相殺されるようで気持ちが穏やかになる。

「夏にもいいところがあるじゃないか!!」

だらしなく窓から右腕を投げ出して橋をゆっくりと渡る。

 お盆が過ぎてそれまでの猛暑は牙を抜かれたように穏やかになり今に至っている。それ以来うちのエアコンも動かすことも無い。夏の夕暮れをもう一度みたくなって夕方妻と一緒に泉大橋まで散歩に出かける。行き掛けのコンビニでビール買って橋のたもとで屋台の餃子を買って橋のちょうど真ん中からゆっくり沈み行く夕日を見守った。夕日が生駒山脈に差し掛かるころには橋の西側はオレンジになる。だが東側はまだまだ鮮やかなブルー。生駒山に飲み込まれたのを境に目の前でコウモリたちがパタパタと忙しそうに仕事を始めた。橋の下は変わり行く空の色をを映しつつ相変わらず川がゆったりと流れている。なんとも不思議なこの空間でビール片手に夏のたそがれ時を楽しんだ。
 毎年夏になると猛暑に対する恨みつらみをこのコーナーで書き立てる。(146071)しかしなぜかその時は空の写真が多い。暑さに対してのせめてもの逃げ道はスコーンと晴れ渡った真夏の空だったのかも知れない。

 先日立ち寄った祇園の画廊でかわいい入道雲を見つけた。迷わず手に入れた。空の事を想えば来年からもう少し夏が楽になるかも知れない。

2008.8.31(撮影8.17)

73 偶然の絵画

 今朝、部屋に入ってハッとした。
机の上にみたこともない絵があった。その絵には白い十字架の上に赤い蝶のような、あるいはどくろのような模様が浮かび上がっている。モチーフや色と相まってただ者ならぬ雰囲気をかもしだしている。絵画(絵の具)や写真(インク)では表せない深い奥行きを感じる。しかしこれはいったいなんだろう?・・・・これはどうも光のいたずらのようだ。スケッチブックの表紙裏に浮かび上がっているものは奥にある金属のクリップが朝日に反射して、クリップの輪郭で表紙の色と模様を透かしだしているのだ。
以前にこのコーナーで紹介した「天使の輪」を思い出した。2002年の記述だ。あの時も偶然の光のマジックには驚かされた。椅子の金属製のパイプに窓から差し込む太陽の光が反射し床に美しい光の輪が浮かび上がっていた。

 写し出された模様は角度の浅い朝の日射しによって撮影中も刻々と形を変えて行き、数分後には消滅してしまった。
 こういう偶然を意図的に状況をつくり出し作品とするアーティストは存在する。それはそれでトリッキーな驚きがありおもしろい切り口だとは思うが僕はあくまでもこういった現象は偶然の小さな驚きとして受け止めていたい。そしてつかの間の些細な発見を心で感じていたい。
 作家はものをつくる立場の人間であるが同時にものをみる立場の人間でもある。ものをつくる事に必要なものはものを見る感性である。ものを見抜く感性のあるひとはきっと感性のよい作品をつくることができるのだと思う。

2008.8.24(撮影8.22)

手前のクリップがらの反射表紙を照らしている。
左 新しいintel MacBook 右 モンスターiMac(羊の皮をかぶった狼)

72 言い訳 いろいろ

 本当に長くあいてしまいました。去年2007年10月から更新が滞っています。このコーナーに至っては8月から更新がありません。約一年ぶりです。
 言い訳は本当にたくさんあります。上げるときりがないので主だったもの
 一つ目 なんか気持ちが盛り上がらなくなってきた。たぶん自分自信がこのHPのスタイルに飽きてきたんだろうと思います。このスタイルで始めて6年です。盛り沢山の作品写真など気合いが入り過ぎたこのサイトが息苦しく感じ出してきました。
 二つ目 そうこう思っていた矢先、11月にHP立ち上げ当時からの盟友、旧iMacが3度目の故障でまたまた修理に5万円かかるという。直したところでもうOS9の環境では全く周りについていけない。ちなみにこのハードディスクは10GBなんです。もうこれは諦めるしかないと決死の思いで最新型のintel Mac Bookを購入した。Intel MacではもうOS9は切り捨てられ今までのソフト類はすべて使えずこれを機にホームページも一新することを思い立つ。しかし未だに腰が上がらず現在に至る。その間 気合いを入れようとこれまでのページをすべてサーバーからおとして自分を追い詰めたのだがそれでもまだ腰が上がらず現在に至る。OS10.5対応のホームページ制作ソフトすらまだ入手していない状態です。しかし更新が滞ったHPであっても無いと本当に不便、不便。それでまた再アップした次第です。
 しかしなんでホームページが更新できるかというと中古のiMac買ったんです、オークションで。最終型の一番グレードの高いやつ。しかもハードディスクは120GBに積みかえておりそれに加えOSは9.2も10.4もどちらも立ち上げることができるダブルブート。メモリも増設してあり、まさに羊の皮をかぶった狼なこのマシン!それに加えて値段が何と修理費よりも安い39800円。届いたMacをみてまた驚き!付属品も含めて傷一つない新品状態。カラーは昔からの憧れのグラファイト、渋すぎる!!
 壊れたiMacからMacマニアのホームページから見よう見まねでハードディスクを取り出し今は外付けハードディスクとして使っています。これで昔の環境と最新式の環境を手に入れることができました。まあこの話は今年の1月の話なんですが。

 まわりの人たちから新しいHPはいつ完成するんですか?と問い合わせもボチボチと。休止のページのカウンターもどんどん増えてきています。あのブログみたいなやつけっこう好きだったんですけど。なんて声をかけれられこのままではイカン、できることはやろうと重い腰を上げた次第です。このままではみんなに見捨てられる・・・

2008.7.21(撮影7.21)

71 2007年 夏

 今年の夏は猛暑。「とっても暑い!」らしい。
夏は毎年暑いものである。相変わらずエアコンの壊れたままの、SAABとハイラックスを乗っている僕にとってこれは毎年変わらない事である。真夏に外を歩く事は誰もが暑い。これは平等に暑い。しかしエアコンの効く車とエアコンの壊れている車とでははまったく意味が違う。対向車の窓が開いている車は約70台に一台。同じ暑い思いをしている同士にとても親近感を覚える。
 暑さに負けてレンタカーを借りた。2日間で約500キロほど走った。所用を兼ねたミニ旅行である。今の新しい車の中では寒いほどエアコンが効く。車の中で明日からの我が愛車達を思い浮かべて外の猛暑を尻目にガンガンに冷やして走った。
 FMラジオでは「暑い、暑い」を連発し冷房の効いたスタジオから下界の暑さをまくしたてる。この 「暑い、暑い」はなんの説得力もないし本当に暑い最中で仕事をしている人にとったら迷惑この上なし!本当に暑い思いをしている人たちは一日中外で仕事をしている人たちやエアコンと無縁な環境で仕事や生活をしている人たちです。
 話の内容に自信のないパーソナリティーほど簡単な季節の事象を並べ立てて喋る。先日なんかお盆の真っ最中に、「学生の皆さん、もう夏休みも残り少なくなりまたねぇー」だって。せめてお盆が明けて言って下さい。お話になりません。感性の悪い先取りほど嫌味なものはないですよ。
 それと天気予報の人たちへ言いたい。僕は天気予報なんて必要無いと思っている人間です。別に明日が晴れだろうが雨だろうが関係ありません。
天気予報は占いとはよく似ていて当たる時はその時の状況で次の展開が誰もが予想できる時です。(「只今フィリピン沖で台風が発生しました」みたいな情報は別ですが)なんでどこのニュース番組もタレントみたいな天気予報士なる人が出てきてあんなにお天気情報にウエイトを置くのか訳がわかりません。
 たしか6月のはじめ頃「今年は猛暑になる」という予報を出しといて梅雨に入っても全然気温が上がらず、いや、やっぱり今年は「冷夏だ」と予報を一転した事を僕は忘れていませんよ!!それがこのざまです。こんな予報だったらしないほうがましです!夏は暑いものです。それでいいじゃありませんか。
 いっぱい、いっぱいぼやきましたが僕は夏が嫌いなのですみません。正確に言うと夏が嫌いなのではなく高温多湿が苦手なのです。ゴメンナサイ。このぼやきも暑さのせいでしょうか?
 ホームページの更新もなかなか腰が上がらず悶々としておりました。書きたい事はたくさんあるのですが、いざ、あり過ぎるとなかなか書けなくて。昨日行った草津の水生植物公園で撮った写真があまりにも清々しくて夏の事を書いてみました。夏ならではの美しい風景ですね。

2007.8.19(撮影8.18)

風力発電の風車と白い蓮花

70 個展 -考-

 ギャラリー恵風の個展が終了した。一年ぶりの個展は自分としても満足の行くものであった。来廊者の評判もよかったように思う。
昨年はあえて個展を入れなかった。「想い1」にも語っているように2006年はもう少しゆっくりとものつくりを考えてみようと思ったのである。「一年ぶりの個展です」と言っても誰もが意外な顔をする。まわりの目は、昨年も僕が精力的に動き回っていたように映っていたようである。確かに「彫刻の力」はグループ展とはいえ、個展並みのエネルギーを注ぎ込んだ作品であったし、アルゼンチンでの制作韓国でのグループ展と2006年前半は飛ばしまくった。ゆっくりとものつくりを考えようと思っていたにも関わらず、またもや休む間も無く綱渡りをやらかしてしまった。
 2006年後半は、さすがに様々なしわ寄せが僕の身の回りに襲ってきて、ものつくりについて考えるという以前に、もっと根幹からの「自らの生き方」という極めて基本的な事について考えざるを得ない状況に陥った。この困難な状況は今でも解決されたわけではないが現在、執行猶予をつけてもらっている感じである。この問題から完全に抜けだす事は今後ともなかなか困難であろう。今年はあと7月までに3回の個展(狭山、京都、東京)がある。また綱渡りの前半の幕が切られた。

今回の個展のギャラリースペースはきわめて狭い、幅2.7m、奥行き6.6mで奥がT字型に広がっている変則なスペースである。
あくまでも単純な理由でアルゼンチンの作品よりも大きなを作ってみたい、という好奇心がある。90cm→120cm→150cm→180cmという具合にスケールアップの麻痺状態に陥った。広くないスペースで行儀のよい個展をするつもりは、はなから無い。空間を小さな箱としてとらえ蓮の葉で分割してしまおうと考えた。そこから生まれる空間に関心がある。蓮の葉の「面」である事の意味合い、茎の「線」である事の意味合い。最後に「蓮」であることの意味合いを確認するための作業である。この表現方法はどちらかといえば彫刻と言うよりも生け花の方に近いのではないかと思われる。

 この文は制作途中に書いた文章である。下左の写真はまさに巨大蓮をホイスト(クレーン)を使ってまさに生け花している最中である。床にギャラリースペースの輪郭線を描き葉の周りを歩きまわって構成を詰めて行く。床の輪郭線だけでは物足りなくなってきてベニヤ板を立てて奥の2つのコーナーも作る。
一体この作品はギャラリーでどう見えるのだろう?
今回の蓮は大学の広い工房の中でもかなり大きく見える。ということはギャラリーでは、はち切れんばかりの濃密な空間ができるのか?今回の個展ほど作品を置くまでドキドキ、ワクワクした事はない。
 搬入の日、手慣れた仲間の手を借りて分割した蓮を運び込み大蓮を組み立てる。作品正面の視界の中に緑青仕上げのブロンズの蜂巣(種)を配置する。これは視覚的効果を狙った。これは今回僕がはじめて実物大に作った蜂巣だ。(いつもは実物よりも大きいか小さいかどちらかである)手前に見える大蓮との色合いのコントラストとサイズのコントラストを意識した。
 予定通りのセッティングを終えたがなぜか違和感を覚えた。思っていたよりも作品が大きく見えないのである。小さな箱に大きなもを入れると実物よりも大きく見えるのではないかと僕は予想していたのだが・・・。むしろ広い工房に置いてある時の方が作品が大きく見えたのである。これは僕にとって新たな発見であった。作品をはじめてみる人にとっては実際に大きな作品でインパクトを与えたのだが、もっと大きく見えると予想していた僕の感とは多少ズレがある。要するに作品を大きく見せるためには適切なサイズの空間が必要なのである。空間は広すぎても狭すぎてもいけない。この感性がものをつくるという以外に立体作家の技量をを問われる部分である。それは作品の大きさよりもそのものの持つフォルムや意味合いによって大幅に変わってくるものだ。この空間を把握する技術を高めるには今後とも経験を積み重ねて行くしかないと思う。

 会期中、何回もギャラリーに足を運ぶうちに作品と空間がしっくりとして見えてきた。これは今回の展示がベストだったのか、ただの慣れなのか作品に対して思い入れの強い作家本人には判断が難しい。幸いな事にこのギャラリーによく来られるお客さんに言って頂いた「いつもよりギャラリーが広く感じられる」という感想は、僕にはとても嬉しい言葉であった。これは立体作品ならではのマジックである。ただ一番最初に僕が感じた違和感は今後とも大切にしなければならないと思う。

P.S 展覧終了後アトリエ持ち帰った蓮はやはりデカイ !!    

個展画像へ

Home

「もの」つくり話